下小鍋(しもこなべ)(小田切小鍋)は裾花川の南側に位置する二〇戸の集落で、こどもが人形をたずさえて家々を訪れる行事をおこなっていたが、現在ではこどもが減ったため勧進などの行事はおこなわれていない。こどもが多くいたころは小学一年生から六年生の男の子によっておこなわれ、最年長が親方、年長の三人が三役といってオンマラ持ち、オンベ持ち、袋持ちの役になった。一月十五日の朝のマツヒキで形のよい松飾りを集め、三〇センチメートルほどの長さに切る。嫁、婿とよばれる人形は各一体で、お供とよばれる人形は役になっていないこどもが一人一体もてる分作ったため、多いときで十数体はあったという。作り方は、松の枝を上下逆さにして形をそろえ、顔になる部分の皮を斜めに切り落とす。つぎに、カズガミに色紙を重ねて二重の着物を作り、襟と裾(すそ)の部分に切り込みを入れ、人形に着せて二つ折りにした紙の帯で縛る。そして、嫁は優しく、婿はいかつく顔を描く。同様にお供の顔も描き、着物には家紋を入れる。また、男根の形をしたオンマラを作る。ぬるでを一尺八寸の長さに切り皮をすべて削るが、一方だけ端から一〇センチメートルほどのところに浅い溝を掘り、二メートルほどの縄を縛りつける。オンベは三メートルほどの枝を払った青竹に、正月飾りに使ったハチジョウをつける。
準備ができると、親方や三役のこどもたちはオンベや御祝儀を入れる袋をもち、オンマラをもつ役の子は雪の上を引きながら運んだ。ほかの小さなこどもたちは勧進のとき一人一体ずつ、嫁、婿、お供を手にもって家々を祝って巡った。家に着くと、「祝っとくんない、祝っとくんない」と声をたて、小さなこどもたちは人形で縁側をたたいていっしょに囃(はや)し立てた。そして、オンマラをもつ役の子はそれを座敷に投げこみ、「ドーソジンのオンマラは、一尺八寸抜けだしたー」と大声で囃し立てた。家の人は御祝儀や米、餅を出すが、少ないとふたたびオンマラを家の中に投げこんだという。すべての家を巡り終えると、親方の家で集まった御祝儀を分けたが、年長ほど多くもらったという。そして、嫁、婿、お供、オンマラ、オンベを村はずれにある道祖神碑に供えた。夕方には厄払いを兼ねてドンドヤキがおこなわれるが、その火で焼いた餅を食べると風邪をひかないともいわれている。