はじめに

674 ~ 675

 古くから篠ノ井有旅(うたび)の十二(じゅうに)などでは、「かまどの火が立ち燃えるときは、火の神が怒ったので火に気をつけろ」などといわれている。こうした言い伝えは、各地で言い回しに多少の違いはあるが、火の神様が怒ったとされるときには、火だけではなく何ごとにつけても気をつけたほうがいいといわれ、また火の神を怒らせてはいけないといわれている。

 火の神は、かまど神とも荒神(こうじん)ともいわれ、火を使うかまどにまつられていた。このごろでは台所でかまどを使うこともなく、かまど神や荒神をまつっている家も少ない。しかし、火の神を荒立てないようにすることは、火を大切にすることであり、火の神が怒って火災をおこしたり、家庭の繁栄が失われることは、いつの時代でも避けたいと願われていることである。

 火はかまどでの煮炊きにはじまり、暖(だん)をとったり、照明にしたりとさまざまに人びとの暮らしに恩恵をあたえてくれている。いっぽうで、その使い方を誤ると、火事をおこし日常を一変させるほどの災いをも引き起こす恐ろしいものでもある。このように相反する面をもつ火とともに、人びとは長いあいだ暮らしてきた。ときに災いに遭遇することも少なくはなかったが、多くは火のもつ恵みによって豊かな暮らしを営むことができた。そこには、さきの言い伝えのような、火にたいするしきたりや、火にたいする思いとともに、災いが起きないようにとの火防祈願がおこなわれていたのである。