火はその熱によって、人びとの暮らしを豊かで暖かなものにしてくれている。火のもつ燃えるという現象は、そのとき発生する熱ばかりではなく、燃やすこと自体にもさまざまな利用がみられる。農家でりんごやぶどうの木を剪定した枝を燃やすことは、焼却し片づけることでもあるが、薪や炭として用いられることも多く、単に不要なものとしては燃やされていない。そのほかに燃料として燃やすのではなく、行事として、あるいは災厄を除くために燃やすことがある。
正月十五日には、各地でドンドヤキなどとよばれる火祭りがおこなわれている。ここでは、正月のあいだ飾られていた門松や注連縄(しめなわ)、古くなったお札やだるまなどを高く積み上げたり巻きつけたりして、天に届けとばかりに焚きあげる。このときには厄よけの願いや、一年の無病息災の祈願が込められ、毎年村中の人がその火にあたりに来る。この火で餅(もち)を焼いて食べると風邪をひかないとか、この火をもって帰り、茶を沸かして飲むというところも多い。川田(若穂)や犬石(篠ノ井有旅)のように、燃え残りの松を新婚の家や新しく家を建てた家にお祝いとしてもっていくところもあった。また、厄年(やくどし)の人が、ドンドヤキの火の中に賽銭(さいせん)を投げ入れていたところもある。投げ入れられたお賽銭は、翌朝早くこどもたちが拾いにきていたという。
田畑の害虫や災いを村から追い払おうとしておこなわれる虫送りにも、松明(たいまつ)の火が使われることがある。犬石では、毎年七月三十一日に、こどもたちが麦わらで作った御輿(みこし)をかつぎ、松明を先頭に村中の畑の虫や災いを集めながらまわり、最後に村のはずれの虫送り場で御輿を集めて燃やし、ふたたび村に入りこまないように願う行事がおこなわれる。火によって災いを送りだし燃やし清めようとする行為である。
また婚礼のさい、嫁がはじめて婚家に入るときに、戸間口や勝手口で松明を焚き、その下を嫁がくぐったり、またいだりすることがあった。これも、新たに家の一員となる嫁が家のなかに災厄を入りこませないようにするのだなどといわれ、自宅で婚礼がおこなわれていたころは、このような儀礼が各地でみられていた。
火のもつ力によって災厄を祓(はら)い清めることは、わたしたちの身近でおこなわれてきたのである。