火は人びとに恵みをあたえるだけではなく、その熱によって大きな災いをももたらす。その災いを防ぐために人びとは、さまざまな神仏を信仰したりしてきた。その信仰は、村や町を単位におこなわれているものだけではなく、個人的におこなわれているものもある。そのどちらも、単に気まぐれに始められたものではなく、恐ろしい大火の記憶に起因している場合が多い。少なくとも、大火の恐怖を見聞きし、わが村もわが家もと、火防の神様をおまつりすることを始めた場合がほとんどである。
とはいえ、現在のような消火設備や防火対策、防火建材による家建物が完備しているような時代でなかったころは、火災をはじめやけどなどのようなものも含めると、火による災害は日常茶飯事(さはんじ)であった。だから、あちこちに火の神様といわれる社がまつられていた。しかし、恐ろしい火を押さえてくれるようにと願いまつられた社なのに、現在では、何の神様か分からなくなっているものも少なくない。反面、火防の神様として秋葉(あきば)さんをおまつりし、鎮火祭をおこなう、というように今でも火防に関するお祭りがおこなわれている地区もある。
このような地区には、大火の記録が代々語り継がれていることが多い。大火の記憶は、そのまま火の恐怖として伝えられ、火防信仰をやめることを望まなかった。それはその記憶が恐怖であればあるほど、現在にしっかりとした形で受け継がれている。このような事例は、長野市内でも各地でみられるが、ここでは、鎮火祭と秋葉信仰の盛んな松代町と、一ヵ月のあいだに二回もたてつづけに大火に見舞われた上西之門町、秋葉さんのお祭りを守りつづけている若穂川田、そして山間地の火防祈願として芋井下犬飼のようすを取りあげ、大火の記憶と火防信仰のつながりをみてみる。