火事とお日待講

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町川田には、秋葉さんと伝えられている小祠が四ヵ所にまつられている。なかでも家の密集している旧宿場の鉤(かぎ)の手にあたるところには二つの秋葉さんがまつられ、現在でもそれぞれ町川田の上組と下組の若い衆のあいだで祭りがおこなわれている。

 秋葉さんの祭りを執りおこなっている若い衆のほとんどは、地区の消防団にも属している。町川田で火災があると、消火活動を終えたあと、若い衆は上組と下組の両方で秋葉さんに灯明をあげる。そして、社の両側に高張り提灯(灯籠(とうろう))をたて、その日は一晩中ともしつづけていたという。

 下組では、秋葉さんの信仰として若い衆のあいだでお日待講(ひまちこう)がおこなわれている。現在は正月十五日と二月の初午(はつうま)の日の年二回になってしまったが、以前は毎月おこなわれていた。お日待の宿は当番で回ってくるが、当番がその月のうちにやらないと火事になるといわれていた。実際、昭和二十七、八年ごろには、養蚕が忙しいといって月遅れにしたことがあり、翌年は忙しいから止めてしまったこともあったが、その翌晩には小さいぼやであっても火事が起きていたという。

 かつて町川田は、火事が多いことで周辺ではひそかに有名であり、半鐘が鳴れば町川田だよ、というくらいひんぱんに火が出ていたという。しかし、大火になったことが少ないのは、熱心な秋葉信仰のお陰であろうという。時代の流れで簡略化されてはいるが、お日待講は今なおおこなわれている。


図2-38 昭和初期の町川田の概要と秋葉神社の位置略図