下犬飼では明治の初めごろ、五、六軒を焼く火事があった。今では当時のようすを知る人はいないが、火災の起きた二月二十七日は、長いあいだ村の火祭りの日にあてられ、ふたたび火災が起きないこと、起こさないことを祈願してきた。現在の火祭りは、昭和五十年(一九七五)に起きた火災の日に変わり、毎年三月二十五日におこなわれているという。
山の傾斜地にある下犬飼の集落では、いったん火災が起きると消防には困難がともない、小さなぼやでも甘くみることはできない。かつては、消防は完全に地区の自衛でおこなわれていた。火が出たとなると、何をおいても駆けつけ共同で消火活動にあたる。それが近所の人たちの当然の役目であった。そして消防団の組織が整い、芋井消防団犬飼班のころは、まだ団員は確保できていた。しかし、長野市消防芋井班となったこのごろは、団員になるものも少なくなったという。
下犬飼では火祭りのほかにも、三峯神社や秋葉社で祭りがおこなわれている。とくに三峯信仰は、講という形で今も御札をいただいている。各家の土蔵には、三峯神社の盗難よけのお札がまつられ、お勝手には、火祭りのお札と、三峯神社の火防、災難よけの三枚のお札がまつられている。このように、消火活動も容易ではなく、またそのにない手となる若者たちも町へ出ることが多く、地区では火防祈願を守り伝えることが一番の消防活動となっている。