皆神山侍従大神

698 ~ 700

松代町豊栄の皆神山にまつられている侍従大神(侍従坊)を、火防の神様として信仰するもので、松代町の各地で鎮火祭とよばれる祈願祭が現在もおこなわれている。

 皆神山の火防信仰は、昔、松代の町に大火が起こったさいに、白装束のものが屋根峰を伝い、火事が起こったことをみなに知らせたといわれ、その白装束の主が皆神山の侍従坊であったことから、火防の神様として強く信仰されるようになったといわれている。

 皆神神社は、かつては修験堂として護摩焚きがおこなわれていた。鎮火祭の祭りも、はじめは護摩焚きによる火防祈願であったが、明治以降、今のような神主による神事のみの形になったといわれている。明治初期には鎮火祭といわず、ゴマタキとよび、最近までこのようによんでいたものも多かった。

 東条般若(はんにゃ)寺(松代町)では、鎮火祭は以前毎年七月十五日におこなわれていた。きゅうりが採れるころにやっていたので、きゅうり護摩とよばれ、祭りにはきゅうりを持参し、味噌をつけて食べながら宴を開いたという。今は昭和二十七年に起こった大火にちなみ毎年四月十七日におこなわれている。

 鎮火祭の日にちは、各町が古くからの言い伝えによったり、東条般若寺のように火災のあった日にちなんだり、その町の都合などで決められている。近年はつぎのような日程でおこなわれている。

 二月第二日曜……馬喰町、新馬喰町、紙屋町。以前は五反田もいっしょにやっていた(旧二月二十二日)。

 二月第三日曜……西条(旧二月二十八日)

 三月第三日曜……豊栄(旧三月二十八日)

 四月十七日……東条般若寺(旧七月十五日)

 五月第二日曜……西木町、伊勢町(立町)、中木町、東木町、十五区、鏡屋町、御安(ごあん)町

 五月第三日曜……紺屋町

 鎮火祭には、それぞれの町で代表者や有志が、お神酒(みき)や酒の肴(さかな)をもって皆神山に登り、神社での祈祷(きとう)のあとに、境内の広場や社務所などでござを広げて宴会をおこなう。五月におこなわれる地区は、気候もよい時期ということもあり、ハイキング気分でおおぜい参加するところも多い。また、御安町などのように育成会の行事としてこどもたちもいっしょに参加しているところもある。皆神山に今のようなゴルフ場がなかったころは、相撲を取ったり野球をしたりと、一日中楽しんだという。また、このごろでは役員だけが参拝してお札をいただき、下に降りて公会堂で直会(なおらい)を開くところもある。いっぽうで、寒い時期の二月におこなわれている紙屋町、馬喰町、新馬喰町でも、氏子総代や隣組組長のほか、商売をしている家の有志などの一五人ほどが集まり、毎年参拝に登って火防への祈願をおこなっている。


写真2-133 皆神神社鎮火祭の直会(松代町 平成9年)