さまざまな火防信仰

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 このほかにも長野市内には、さまざまな火の神様が伝えられ、火防祈願の祭りがおこなわれている。

 上西之門町の弥栄(やさか)神社境内にまつられている金山社は、金山毘古神(かなやまびこのかみ)と金山毘売(びめ)神をおまつりしたもので、広く金物の神様として信仰されているが、ここでは火の神、鎮火の神として信仰され祭りがおこなわれている。祭りは毎年六月二日の午後六時半ごろから、町役の人や有志のものが金山社碑の前に集まっておこなわれる。神主による神事のあと、そのまま碑の前で、供物(くもつ)として上がっていたお神酒などで直会を開く。明治のころに起こった大火のあとにまつられたものといわれている。

 安茂里や古里、三才、富竹などには、上水内郡豊野町浅野にある宝蔵院の火防大日如来を信仰する講組織が今も残っている。この講は、火防大日講とよばれ、毎年四月二十二日におこなわれる宝蔵院の祭り、大日如来の御開帳に代参し、御祈祷を受け、火防のお札をいただいてきている。この火防大日講は、大正十二年(一九二三)から始められたもので、五人が一組となり、毎年の祭りにはそのうちの一人が代参に出かけている。講の組織以外にも、川中島町古森沢のように昔から参拝者を募り、臨時列車やバスで毎年かならず参拝に訪れているところもある。

 中御所の明助山観音寺には、聖徳太子御作と伝えられる火防地蔵菩薩がまつられており、火難よけとして周辺の地区のなかで信仰されているという。


写真2-134 火防地蔵菩薩(中御所 平成10年)観音寺提供

 広瀬の隠滝(かくれだき)不動尊もまた、火伏せや厄よけに御利益があるとして信仰されている。七人講とよばれる講も組織され、毎年五月十五日の不動祭りには講中の代参が訪れている。遠方から訪れる一般の参拝者も多いという。広瀬では隠滝不動尊のお札は、昔はかまどの上にはり、今はこんろの上におまつりし火伏せのお守りとしている。また、広瀬では火事祭りや風祭りとよばれる祭りがおこなわれている。毎年九月の十七日に氏神様の前で、村中のものが参加しておこなわれる祭りで、災厄よけ、台風よけの祈願祭りとして信仰されている。災厄よけには火災や盗難の意味もあり、火の神の祭りともいわれている。

 下犬飼では、毎年三月二十五日に火祭りとよばれる火防祈願の祭りがおこなわれている。当日は村の入り口二ヵ所に注連縄(しめなわ)が張られ、村のなかに悪いものが入りこまないようにと願いを込めて注連切りがおこなわれる。祭りの年番は、事前に神主に頼んで、火祭りのお札を書いてもらい、そのお札を火防のお札として各家に配る。配られたお札は、荒神様に飾るといって火を使っているそば、昔はいろりがあったので茶の間のいろりのそばにまつっていたという。今はお勝手のこんろの近くにまつられることが多い。

 このように、村の氏神様で鎮火祭や火防のお札を出している地区はほかにもみられる。松代町東条の玉依比賣(たまよりひめ)命神社でも、ホシズメ(火鎮め)の神様としての信仰があり、毎年鎮火祭がおこなわれ、火防のお札が地区の家に配られていた。現在は、鎮火祭は四月二十三日の春祭りといっしょにおこなわれている。また、清野では一月の出初め式のあと、消防団と区長が氏神に集まり、無火災安全祈願祭といわれる鎮火祭がおこなわれているという。

 このほかにも、個人の家の屋敷神として、秋葉さんや荒神様などをお祭りしているところもある。地区での信仰がなくても個人的にお札をいただいたり、参拝に行くことで火防を祈願している家も少なくない。


写真2-135 隠滝不動尊のお札(広瀬 平成10年)