長野市内には、火や火防の神様として秋葉さんや三峯さんなどが各所にまつられているが、この秋葉さんや三峯さんにたいする信仰は、火だけに限らず、町川田のようにかつては農作業とのつながりでも信仰されていたというところもある。
町川田でおこなわれている秋葉さんの祭りは、春秋ともに、農作業の節目のころにあたる。春の四月二十三日は、蚕の掃き立てや農作業が忙しくなる前にあたり、秋の十月二十二日は秋蚕(あきご)が終わり、稲刈りの前の一息ついたころにあたっていた。そのため、以前は農家では野菜のおやきを作ったり、五目御飯でお祝いしたりもした。また、小さなおやきを作ってこどもたちにも配り、秋葉さんの祭りには農作物にたいしての感謝の思いが込められていたという。川田大門でもアキカサンの祭りは、野沢菜の種をまく目安になり、「アキカサンのお祭りだせえば、そろそろお菜まかなきゃな」といわれている。また、今はやらなくなっているが、昔は三峯講があり、いただいたお札は畑や田圃(たんぼ)に立てていた。種まきや苗代を作るときには、それをやっておくと作物によいといわれていたという。
このように川田のあたりでは、火防の神様は作神様であるとも考えられていた。秋葉さんの祭りが比較的秋口におこなわれるところも多く、そこでおこなわれる祭りには、火防祈願だけには限られずに農作物への思いも込められていたのである。
集落のほとんどが農業に従事していたころとは異なり、現在ではこのような農作業の神様、作神様としての信仰は薄くなっている。それと同時に火の神様としての思いも薄らぎ、各地区の祭りにも簡略化がみられている。小祠としてまつられた秋葉社などのなかには、村の氏神様の境内に移され、祭りも同じ日にいっしょにおこなわれているところは多い。また、秋葉講や三峯講、古峰講といった代参講は、しだいにおこなわれなくなり、現在もつづけられているところは少ない。しかし、代参はおこなわれなくなっても、お札だけはいただいている講や、神社の祭りだけはしているなど、何らかの形で信仰を残そうとしている地区もある。松代町柴では、昭和二十五、六年まで古峰神社の代参講があったが、今ではおこなわれてはいない。だが、毎年の祭りは欠かさずおこなっており、すべてをやめてしまおうといいだすものはいないという。下犬飼の三峯講も、代参はおこなわれなくなり、講員の数は少なくなってはいるが、毎年の祭りとお札はかならずいただいているという。
暮らしのさまざまな変化により、火防神の祭りや思いもしだいに移り変わっていく。火というものが恐ろしいものであることを認識しながらも、火防神への思いの薄れは少なからずみられるのである。
長野市内の火防信仰には火事や火の災いがないようにと願う祭りと、火を大切に扱うことで、日々の暮らしや豊作、さらには家の繁栄をも願うものとがあった。火の恐怖を感じ、古くからの言い伝えによってその信仰を守り伝えてきたもの、いっぽうで他の行事や祭りと同じように、信仰の形が衰退していった地域もある。火防信仰の移り変わりは、火をめぐる生活の変化とともに、伝えられてきた地域の歴史にも大きなつながりがみられるのである。