御嶽行者はお加持とかアクマパライと称される祈祷(きとう)や安全祈願、地鎮祭、お祓(はら)いなどさまざまな活動をしている。松代では現在でも活動している御嶽行者がいる。A先達である。A先達は、大正十二年(一九二三)生まれの長野市松代町道島の人で、若いときから水行・穀断ち・塩断ちなどの修行をし、平成七年(一九九五)で御嶽登拝は五〇回を数えた。先達としては松代一心講(長野市松代町)・生萱御嶽講(更埴市)・安茂里御嶽講(長野市安茂里)の三つの講の合同大先達となっている。毎年、夏にはこれらの各講中の先達として木曽御嶽に行くほか、講の集まりに祈祷するなど宗教的儀礼をつかさどっている。また講に入っているいないにかかわらず、頼まれて家々や企業などにおもむき加持をおこなっている。
A先達はどのようにして御嶽行者になったのだろうか。A先達は稼業として鍛冶(かじ)屋をしていた。農家から農具の修理の注文を受けていた。熱心に稼業にいそしんでおり、鍛冶屋の守護神(仏)は不動尊だと聞いていたので日々手を合わせていた。しかし、それではもの足りず、ぜひ不動尊のお経を覚えて唱えたいと思うようになった。そこで長野市にあった御嶽教長野教会を訪ねた。それまで教会の存在は知っていたが、行ったことはなく、ただ、木曽御嶽の教会ならば不動尊の経文を唱えるだろうと思ったからであった。教会にいた女性の行者に事情を話して了解してもらい、毎月五日と十五日に教会に通うようにいわれた。不動経を覚えると、だんだん熱が上がってきてほかの経文や祝詞(のりと)も修行するようになっていった。御嶽教の教会であるので御嶽信仰にもめざめ、昭和二十二年(一九四七)に木曽御嶽に初山(はつやま)した。さらに教会の女性行者を師としてさまざまな行法を修行した。地鎮祭や家祈祷の行法も修得していった。そのうち資格を取ったほうがよいだろうといわれ、長野教会で祝詞や経、行法などの試験を受けて、御嶽教の本部である御嶽教大本庁から「神事祈祷免許」と、訓導という位を修得した。その後、教師職も昇格し現在は大講義である。
毎年、木曽御嶽に登拝し、五穀断行やさまざまな行場で水行(みずぎょう)をしているうちに、神霊と交流することができるようになった。しだいにいろいろな祈祷の依頼もくるようになった。当時は松代にも御嶽行者が数人いた。東条、清須町、馬喰町などにそれぞれ先達がいて、修行をしつつ講の先達やさまざまな祈祷の活動をしていた。
昭和四十一年に鍛冶屋の仕事で飯田市の病院の配管工事に行って半年間滞在していた。飯田には木曽御嶽の清滝(きよたき)(王滝村)の分社があって、仕事が終わってから毎晩修行に通っていた。そこで行をしているうちに神がかりし、御座が立てられるようになった。御座は「お加持」または「神のノリックラ」ともいわれる儀礼であるが、本座(ほんざ)といわれる御座は、神がかりする中座と神の降臨をうながす前座を中心に、四方固めの四人とともに執行される。もっとも長野教会でも本座はおこなっていたが、このとき一人で神を降臨させる御座ができるようになったのである。一人でおこなう御座はイッポン座(一本座)とかひとり座という。行があれば御座は一人でできるといわれ、また一人でできないと大先達とはいえないという考えもある。A先達はこの飯田の清滝で、夢うつつのなかで清滝不動に御座を授けられたのである。
柴のB家で家祈祷を始めたのもこの昭和四十一年である。その後、個人や企業からも祈祷やお加持の依頼が多くなっていった。現在では依頼は減りつつあるものの、毎年決まって執行しているところには継続しておこなっているし、結婚や安産祈願、病気などさまざまな依頼があってお加持によって対処している。その他、真島(更北真島町)の不動様、大室(松代町)不動講などの祈祷も依頼されて執行している。
A先達のお加持については後述するが、かならず降臨する守護神は清滝不動尊である。清滝不動尊は木曽御嶽の清滝に鎮座している仏で、降臨しているあいだは清滝弁財天が留守番をしているという。会社の安全祈願祭や地鎮祭のときの祈祷は、御座とは違って神がかりしないようにして執行する。不動尊が来るが、身体に入らないように霊力で切りかえすのだという。一般のお加持は宝冠(ほうかん)を巻き、白装束で執行するが、神道的な祈祷は衣冠束帯で杓(しゃく)を持った神職姿でおこなう。
御嶽教長野教会は教会長が亡くなったのち、消滅してしまった。現在では直接に御嶽教にかかわっているわけではなく、教師職の昇格も希望しないという。教会や教派にはあまりこだわらず、「御嶽山がどこかにいってしまうことはない」と先達はいい、木曽御嶽の存在が重要であるという。木曽御嶽にも松代一心講や生萱・安茂里御嶽講の先達として毎年行っているが、平成三年以後は七合目まで登っている。すでに霊神号「清正霊神」を木曽御嶽から授かった。A先達の家には不動尊や木曽御嶽がまつられた祭壇があり、勤行(ごんぎょう)を毎日おこなっている。また、屋外の祠(ほこら)には寛政九年(一七九七)の銘の入った石の不動尊があり、重要な信仰対象となっている。