松代のA先達は、不動尊の経文を覚えたいということから御獄教の教会に通い、そこから御獄行者へと進んでいった。いっぽう、E先達は父親から継承した形であるが、西山大天狗や滝山不動で修行した里山伏であって、西山大天狗信仰のうえに木曽御獄信仰が乗っているという印象を受ける。おそらく御獄信仰は父親の代に、行場に集まる行者の影響を受けたものであり、信仰体系のなかに御獄信仰を包含していくようになったものであろう。A先達も不動信仰が中心であるが、不動は木曽御獄の清滝不動に比定されており、より御獄信仰が強くあらわれている。いずれにしても、両者のお加持(御座立て)などの行法の形は、その名称や一人でおこなうことを主とすることなど類似するところが多く、伝統的な行者の姿だといってよいであろう。