長野市域に広く分布する戸隠講と、先達の活動もみられる木曽御嶽講をみてきた。そこには講組織や活動の相違がみられる。戸隠講もやや複雑な組織をとっている場合もあるが、そのほとんどが地区を単位として成立する。今では講員の生業もさまざまなので、抜けたり入らなかったりということも多く、希望する家だけの講中となっていることも多い。しかし、かつては農業の神としての信仰や、地区内のつきあいということもあり、どの家でも入っていることがふつうで、何人かずつ代参を立てて参詣していた。また戸隠神社とのあいだに宿坊の聚長(しゅうちょう)が存在し、講中を掌握して宿泊やお札の授与などさまざまな世話をしている。戸隠神社においても古くから定められている講の形式もあって、信仰対象である戸隠山において講の受け入れ体制が整っている。