こうした戸隠講にたいし、木曽御嶽講は、先達を中心に広く信者を集め、信仰心にもとづいて希望者が木曽御嶽に登拝するといった信仰形態が主である。また、先達は地域の民間宗教者としてさまざまな悩みごとなどの依頼を受け、御座といった祈祷(きとう)によって解決の糸口をあたえていく。病気に関しても医院や病院が近くになかった時代には重要な存在であった。
木曽御嶽においても御嶽神社はあって、お札などの配付もおこなっているが、講により神社とのかかわりはさまざまである。神主がいなくても先達が宗教的な活動はすべて取りしきっているからである。
また、御嶽講では山に登り、頂上の御嶽神社に参拝することも重要なこととされている。これは日常生活を無事におくられたことを感謝するとともに、これからの生活の無事安全などを祈願するという意味をもっている。すでに述べたように、王滝口では七合目の田ノ原までは車で登拝できるが、それ以上は高山であるため、高齢者や体調不良の人は遙拝所での祈願ですませている。しかし、講中で登拝した場合、だれも頂上をめざすことがないということはまれで、何人かは登ることになっている。登れない人は登山する人に代参を頼んで、無事下山を祈っている、ということが多い。
戸隠講では、山ろくの戸隠神社で祈願することが中心で、戸隠山を遥拝することはあっても、山頂をめざして登ることはごく少なく、講中においても山頂で祈願するという意識は少ない。このことは戸隠講の参詣が、古くから代参という形をとっているということなど、山岳信仰としての歴史的展開と深く関連しているといえる。