御祭礼は、かつては善光寺大勧進の指揮のもとで祭りがおこなわれていたという意味で、寺中祇園会(え)に位置づけられる。祇園祭は、弥栄神社において、七月一日(もとは旧暦六月)の天王下ろしに始まり十四日の天王上げまでおこなわれる。七月一日には妻科神社の聖徳社にある槻(つき)の大木に人びとがオンベ(笠鉾(かさぼこ))を立てて天王下ろしをおこなった。これが終わると笠鉾を弥栄神社に移し、神霊を社の横にある石にまつる。祭りの花形は、十三日・十四日におこなわれる屋台の巡行である。町の人びとが御祭礼とよんでいるのはこの両日の祭りを指しているようである。また、十二日の夜には京都の祇園祭ではみられない灯籠揃い(「足揃え」ともよばれる)がおこなわれた。そして、十三日には御祭礼の加盟町の代表者が町名を記した町旗(ちょうき)と笠鉾をもって弥栄神社に参拝をした。十四日には天王上げと称して笠鉾を弥栄神社から聖徳社に移して、槻の木のうえに立てて終わる。現在では天王下ろしは七月七日に変更されているが、このときにはきゅうりが供えられる。斎藤武宮司は、参拝者に配るきゅうりに添付された説明書「長野の祇園祭『弥栄神社の御祭礼』」のなかで、つぎのように記述している。
神社に参拝する人は、初なりキュウリを奉納するのが習わしで、御神前にはキュウリの山ができました。キュウリをまず神様に召し上かつて戴き、初めてその年食べることができました。これは、自然と神の恵みを感謝した現れです。もともと御祭神はキュウリが大好物でいらっしゃるといわれ、人々は、怖い疫病が発生する夏を無事に乗り切るために神様のお好きなキュウリをお供えして、真剣に家内安全をお祈りをしました。その心を忘れず、お下がりのキュウリを頂戴致しまして家内安全にて夏を過ごせますよう御祈念致します。
きゅうりは日本各地で祇園信仰と結びついている。齊藤武宮司によれば、祖父は生涯きゅうりを一本も食べず、父も祭りが終わらないと食べなかったという。宮司もまた、きゅうりを食べないことを家例にしており、現在も七日の天王下ろしを過ぎるまでは、これが守られているという。
昭和五十年(一九七五)の天王上げ神事がおこなわれた七月十四日の朝、午前九時三〇分ごろに、加盟町二二町の代表が二人ずつ紋服で宮司の家に集まってきた。このときに「本日はおめでとうございます」「お暑いところご苦労さまです」などのあいさつがかわされた。天王上げ神事の式次第はつぎのようにおこなわれた。
午前一〇時一二分 弥栄神社において神事のために神職着座。区長参列
一三分 お先乗(さきの)り着座
一四分 太鼓。宮司以下参列者 一拝拍手
一五分 神職 祓(はら)えの祝詞(のりと)
二二分 祓え
二三分 宮司 天王上げの祝詞
二六分 宮司 二拝二拍手一拝
二七分 玉串(たまぐし)奉献
お先乗り・大勧進執事・大本願執事・年番委員長・年番町代表(三名)・町代表(一名)
三一分 太鼓 宮司以下参列者一拝 宮司神前に進み 一拝 「ォー」 二拝二拍手一拝
三二分 お先乗りの証 授与
宮司、神前から証書を乗せた三方を下ろし、お先乗りの前に進んで向き合い、お先乗りの証を読み聞かせたのちに授与。お先乗りおよび介添え、頭を下げてそれを聞き、お先乗りが証書を受ける。
三五分 太鼓 一拝拍手