御祭礼のときに、屋台巡行の先頭には、京都の祇園祭にみられる「お稚児さん」に相当するもので、お先乗りとよばれる少年が、祇園祭のスター的な存在となる。お先乗りの名は、公表され、長野の御祭礼を彩るスターとして、マスコミに追いかけられる。ふつうは毎年小学生ぐらいの少年が選ばれ、御祭礼の一連の行事に参加するのである。かつては江戸時代には御祭礼の大将乗り(おとな)と先乗り(こども)は別々であったが、のちに大将乗りと先乗りがいっしょとなりお先乗りとよばれるようになり、明治時代からお先乗りは新しい町が独占するようになり大正時代まで続いた。その後は、お先乗りは原則として、年番町の有力者のこどものなかから選ばれるようになった。しかし、お先乗りの役割を果たすには莫大な費用がかかるために、年番町以外の加盟町から選ばれることもあった。
お先乗りは屋台巡行の先頭を行く馬に乗って、朝陽館書店付近で、斎竹(さいちく)(神域の境界をしめすもの)から張られている注連縄(しめなわ)を太刀でもって切り落とす役を演じる。注連縄が太刀で切り落とされると煙火(はなび)の音が鳴り響いて各町の屋台が善光寺をめがけて巡行しはじめる。また、お先乗りには、天王の「精霊」が憑依(ひょうい)しているといわれている。この神様が参加しないと御祭礼は本当に始まらないともいわれる。お先乗りは神の化身とされており、屋台巡行が善光寺の駒返り橋を渡ってからも、乗馬したままで境内に入ることが許されている。