この夏祭り前夜祭(広告祭)は、第一日(ミス長野まつり〔翌年から廃止〕、コーラスとブラスバンドの夕べ、民謡流し)、第二日(広告祭、花火大会、俄物各町足揃い)、第三日(俄物巡行、こども御輿(みこし)、神楽(かぐら)行列)という三日間の行事からなっていた。夏祭り前夜祭(広告祭)は、昭和四十二年(一九六七)に、長野青年会議所主催の夏祭り前夜祭(火と水と音楽と若者たち)に受け継がれた。この祭りの模様は『長野商工会議所報』(昭和四十二年七月二十五日)のなかでつぎのように語られている。
第十回長野夏まつりは、七月十三日、十四日の両日おこなわれた。本年は、前号所報のとおり俄物巡行がとりやめとなったので、まつり行事を十三日の一日に集中するとともに、さらに行事内容も城山公園を主会場とした新趣向の「火と水と若者たち」を中心にくりひろげられた。同日はまず午前十時から善光寺金堂で市民安全、五穀豊穣を祈念する祈願祭がおごそかに執行された。
午後四時、長野駅前に集合したこどもみこし四〇台が権堂の小若連の勢獅子(きおいじし)を先頭に大太鼓、小太鼓の音もにぎやかに中央通りを練り上げたが、このころから雨足もにわかに強くなったので途中で流れ解散となった。また、恒例の民謡流しは雨のため予定を変更、午後七時から権堂アーケード街一ヶ所で市内の婦人達千人がそろいのユカタで見事な民謡踊りの手振りを披露しておまつり気分を盛りあげた。新企画の「火と水と若者たち」は午後六時三十分から折からの雨ふりのなか城山公園の主会場で、小野長野青年会議所理事長の開幕宣言、松橋当所副会頭(小坂長野夏まつり会長代理)の挨拶、来賓の夏目長野市長の祝辞があって開幕、噴水を中心に設けられた三つのステージでは、それぞれエレキバンド、フォークグループ、ハワイアンバンド、ジャズバンドなどが競演、またレイを首にかけたハイテーン、青年男女がカサを片手に若いエネルギーを爆発させていた。終幕ちかく、噴水周辺の仕掛煙火がいっせいに点火され二〇万燭火(しょっか)が大群衆を浮彫りにし城山公園一帯は不夜城と化し行事はクライマックスに達した。このあと照明が消された会場いっぱいに「ホタルの光」の大合唱のうちに、市営球場から大スターマインが打ちあげられ、「さよならマーチ」が流れ閉幕となった。当夜、城山会場に集まった市民はおおよそ一万人をかぞえ、市内の商店街もあいにくの悪天候にもかかわらずかなりの賑(にぎわ)いをみせた。
夏祭り前夜祭(火と水と音楽と若者たち)は、それまでの中央通りを中心とした祭りから、城山公園へと場所を移動し、噴水の回りに仮設の舞台を作っておこなわれた。催し物は、エレキバンド、フォークグループ、ハワイアンバンド、ジャズバンドなどの競演などであり、若者を中心とした歌と踊りの熱狂的なイベントをめざしたものであった。この夏祭りにはフォークソング歌手の森山良子や長谷川きよしなどを招いたこともあった。最初の年の祭りは雨のなかで実施されたが、その後、三年連続の梅雨にたたられて祭りそのものが不完全燃焼に終わり、夏祭り前夜祭(火と水と音楽と若者たち)は昭和四十五年に中止された。