S氏の畳店に修業に入った職人の一人に、現在川中島で畳店を経営するT氏がいる。氏は農家の四人兄弟で、兄が跡をとったので戦後間もなく中学を卒業してから、知り合いの紹介でS氏の畳店に行ったのである。三年修業したが、その後すぐに仕事があるわけではないので、畳店が忙しいときには仕事をしにいったり、暇なときは農業をするなどしていた。修業中の三年は弁当代程度の給料をもらった。道具は自前(じまえ)でそろえ、それらは何年かたってくると自分の形になってくる。
T氏によれば、一人前になるには一〇年はみなければならない。三年では一般的な家屋に畳をきちんと入れるところまでであるという。しかも、外観はいちおうやってあっても、何年かたったときによくやってあるかどうか違ってくるもので、ある範囲の仕事はできたにしても、依頼された特殊な仕事までをまんべんなくこなせるようになるにはそのくらいはかかる。特殊技術のうち、板入れはゴザの下に板を入れるもので、角が丸まらず、畳どうしがすきまなく敷きつめられる。こんにちの畳屋の一級技能士には板入れの試験が含まれているので、特殊技術とはいっても全国的に知られた技法である。ところが、寺社で依頼される紋縁になると宗派によっても違いがあり、寺社ごとに代々使っているものが決まっていて、まず専門に織っているところから問屋を通じて仕入れなければならない。紋は一定でなく大小あるものを、敷いたときにきちんと合うようにしなければならないので、紋がずれないように微調整しながら加工するが、機械では無理なところがあり、とくに技能が必要になる。
T氏の場合は、「見て覚えろ」といわれ、「あとは自分で覚えて上手になれ」といわれたかつての職人の修業ほどではなかったにせよ、職業訓練校などにおけるような技能習得のシステムが確立されていないなかでの技能の習得であったといえよう。