住宅とともに、そこに入れる畳についてもほぼ同時期に変化している。上松で畳店を経営するS氏によると、昭和三十五、六年ころまでは自前で畳の床(とこ)から作っており、いろいろ種類があったので、注文がきてからでは間に合わないことがあるため、暇なときに作ってストックしていた。原料のわらの保管場所もかなり広くなければならないが、住宅建設の増加とともに保管すべきわらの量が増え、床のストックも多くなり、場所の確保がむずかしくなってきたことと、床を作る機械の作動にも場所が必要であるという空間上の問題が生じていた。さらに、床に新しいござを張ったり裏に返したりという畳の加工だけでも仕事が増えてきて、床まで作る余裕がなくなってきたのである。そのため床を外注するようになった。こうした需要が発生したために、畳の床だけ専門に作る業者もそのころにできはしめた。アップルライン周辺や、川中島の市街化しておらず田に近いところにそうした業者が新たに立地し、そこに発注すればすむようになった。最近は長野にわらが足りなくなってきたので、新潟県の穀倉(こくそう)地帯にわらを求めるようになっており、そこに業者も移っている。
川中島で畳店を経営するT氏は、作業場が比較的余裕があり、近在の農家からわらを仕入れて床から作っているが、畳作りの工程が分業化したことを認めている。さらに、わらだけの床は少なくなって、一般的にはワラサンドといわれる発泡スチロールをあいだに挟んだ床が増えてきている。ここ一〇年ほどは木を砕いて固めた台が増えて、むしろわらだけの床は特殊物とみられるようにさえなってきている。このような床の素材の変化は単にわらの生産量の減少ばかりでなく、家屋の通気性が悪くなったことにともなうダニ対策のためでもある。建材が自然の木材などからさまざまな工業製品に移り変わり、一軒の家でも「呼吸している素材」が少ないためである。