プレハブメーカーと大工

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昭和三十五年(一九六〇)に発表された「組み立て住宅」は、工場生産による量産化によってコストダウンし、品質を安定できるという利点があった。昭和五十五年には通産・建設両省のプロジェクトで低価格化したプレハブ住宅が発表されて、さらに住宅着工戸数に占めるシェアをあげていくことになる。長野にも大手の住宅メーカーが進出して、在来工法の大工に影響をあたえている。地元の業者からすれば、展示場を作って顧客を集め市場を食い荒らしている、といわれるほどである。プレハブメーカーは営業力があるし、外観のデザイン、色の使い方がうまい。住宅の発注者は規格化を嫌い、多様な要求にこたえられないというのがプレハブ住宅の弱点であるといわれているが、在来工法のようにプランが自由であるとかえってむずかしくなり、見積もりなどで時間をとっているうちに、プレハブメーカーに仕事を取られてしまうこともあるといわれる。プレハブはある程度の融通はきくが、限られたプランから選択するので施工が早い。施工は決まった業者を地方ごとに抱えていて、在来工法の地元業者にも施工業者になるよう勧誘にくる。在来工法で仕事をとって自前でやっているところもあるが、従業員を抱えていると仕事を切らすことができないので、自前で仕事を取るほかにプレハブメーカーとも契約している業者が多い。一〇人以上の従業員をもつとそうせざるをえない傾向にあり、それ専門になっている業者もある。同じ工法で数をこなすうちに、施工に慣れてきて能率が上がり、もうけが出るようになっていく。そこまでいかないで自前だけでやっていくことになると、三、四人の規模でやっていくしかなくなる。F氏の場合はここに当てはまる。プレハブをやるということは人の傘下(さんか)に半分は入ることになるので、その点のプライドが許さないともいわれる。