住宅事情と密接に関連するのは建具職も同様である。建具職人のO氏は、二〇年ほど前からプレハブメーカーの仕事をしている。注文はすべて図面できて、材料は金物のみ支給される。在来工法の住宅では、障子とふすま以外にも物入れや板戸などの注文もあるが、プレハブメーカーからは障子とふすまだけ受注している。プレハブメーカーは八〇パーセントほどは大量生産で、全国にある生産基地で作られるが、和室の建具は現地で作る。障子の紙などは破れやすく、ちょっとした破損で工場に送り返していては、運賃もかかるし納期に間に合わないこともあり、また、完成している建具をはめこむだけの仕事になるから、そのために人を雇うのは経済的でない。ふすまの紙の場合は発注した人が選び、地方差があるので全国的にみると選択の幅があまりにも大きくなり、それぞれの地元でないと対応しにくい、などといったことから現地の業者に任せる。洋間のドアも建具屋で作ることはできるが、安くはできないのである。あるプレハブメーカーでは障子を使わずに、曇りガラス戸にして現地への委託をやめた。このように、規格化された良いものを安く大量に作るという大手の業者に有利な部分からはずれて、それでは対応しにくいところが地場の職人に残されているといえる。
建具の寸法は、在来工法では柱の太さがわかれば、それに対応するので予測できたが、プレハブ建築では柱は枠でくるので分からない。在来工法でもプレハブ建築でも、新築の場合は建具の寸法が取れるようになると、直接行ってはかってきて作る。現場を見ないと材料の使いまわしがわからないからである。つまり、もっとも目に触れるところに材木のどの部分をもってくるか、暖房の使用による材木の変化を予測してどのように加工するか、というような事柄を現場を見て検討するのである。現在は全部輸人材であるから、それくらい考えて材料を使っても変形することがあり、トラブルになることがある。
一〇年くらい前から建具店は、跡を継ぐものがいないために廃業するものが増えた。それは納期があるので、発注するメーカーは休めても、建具店は土曜・日曜でも休めないことがあり、仕事をさばけないときには知り合いの建具店に依頼したりと気苦労が多く、きびしいことが嫌われるためである。先に左官屋になり手がいないと述べたが、若い人で建具業界に入ってくるものもいない。大手のプレハブメーカーの進出によって大工が仕事を奪われているために在来工法の建築は減少し、それにともないさまざまな建具の注文も減っている。特定のプレハブメーカーの仕事しかやらない大工もいる。その場合、大工としてのいろいろな技術はもっていないからほかの仕事はできないが、組織の一部に組みこまれることによって安定した生計を立てることができる。コンピューター化された工場に勤める限られた技術しかない畳職人と同様に、それらを職人とよべるかどうか疑問であるが、ある程度の収入になるから、そのほうが楽でいいのである。氏もプレハブメーカーの仕事をしていなければ、仕事がなくなって廃業していたかもしれない。一部ではマイコン墨付け機を導入したり、鉋(かんな)の刃も使い捨てになって研がなくてもよくなり、シラガキなども使い捨てになって、人手のないのを補い、熟練を要せずにできる方向に向かってはいるが、やりたいというものがいない。「自分で好きでないと、いい仕事はできないものである」から、その点からいっても意欲のある若者がいなければ建具職の廃業はやむをえないということである。
職人には「勘で仕事をする」という微妙なところがある。それは人から人に伝えられるものでもあり、製品が保存されても、製法がいくら詳細に記録されても表現しきれるものではない。技能というものはけっきょくそれをもつ人が伝えていくものであり、個人がになってきた。そうした技能のうち、社会の変化に対応できないものは途絶しつつあるといえるだろう。この二、三十年ほどのあいだにこうした変化が急速に進んでいる。