はじめに

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 夜空を鮮やかに彩る花火は、いつどこで、だれとながめていても、その一瞬は日ごろのわずらわしさを忘れさせてくれ、さまざまに変化する色や音でわたしたちを楽しませてくれる。わざわざ遠方まで花火を見にいく気持ちはなくとも、たまたま見上げた夜空に大輪の花火が咲いているのをわずらわしく思う人は少ないと思うし、花火を見たいという気持ちが高じて打ち上げ現場の近くで打ち上げ時の音に興じ、仕掛け花火の妙を楽しみたいと考える人は、これも少なくないだろう。

 もちろん、花火には夜空に輝く打ち上げ花火ばかりでなく、昼間、合図のために打ち上げられる合図花火もある。これには長野近辺では三段雷・号砲・万雷の三種類がある。三段雷ならパン、パン、パン、と音が三発一定の間隔で鳴り、号砲なら一発、万雷ならバリバリバリバリッと数発鳴って、合図とするものである。三種類の合図花火は主催者側の好みにあわせてこれを打ち上げているという。

 この節で取りあげる奉納煙火(はなび)や行政主導の花火大会を開催するにあたっても、これら昼間の合図花火は、わたしたちにその夜に催される祭りや花火大会への期待をいやがおうにも高めさせてくれる、そんなささいだけれど味わいのある役割を果たしていよう。

 この節では、多くの人びとを魅了する花火のおこなわれる、ウブツナサン(産土(うぶすな)神)の祭りでの奉納煙火の二例と、行政が主導して企画運営する二つの花火大会、えびす講煙火大会とニコニコお祝い花火を取りあげてみたいと思う。


写真2-176 えびす講の花火
(安茂里 昭和27年) 松瀬孝一提供

 ウブツナサンの祭りに花火が打ち上げられることは、長野市域ではこんにち当たり前の光景になっている。これは明治十一年(一八七八)に明治天皇が長野に巡幸されたおり、それを祝うのに近在の煙火師たちが集まって煙火会を開いたことからもわかるように、長野はもともと花火の盛んな地で多くの煙火師がいたといわれている。そのころの煙火師たちがつくる花火は、たぶんあとにあげる二社の氏子たちのように、ウブツナサンの祭りに奉納するのが主な目的だったといわれている。

 ところが明治以降、火薬の取り扱いが免許制になり、素人が勝手に火薬を扱うこと、すなわち花火の作製がおこなえなくなるにつれ、氏子たちによる煙火奉納はしだいにすたれ、専門業者の手による花火の打ち上げが主体となってくる。ここでは、こんにちでも氏子たちの煙火奉納という形をできるかぎり崩さずにいる、安茂里の犀川神社と新諏訪町(西長野)の諏訪神社の奉納煙火を代表として取りあげたい。

 なお、本稿では読み方は同じハナビでありながら、煙火と花火とを使い分けている。煙火としているのは奉納煙火の場合が多いが、これは記録されたものにしたがって煙火とした。その他の場合は花火としている。

 古くから信仰され、伝えられているウブツナサンヘの煙火奉納と、近年になって信仰とは別の趣旨からおこなわれはじめた花火大会とでは、あいいれない部分も多い。だが、どのような趣旨であってもその場所場所で打ち上げられる花火が、人びとを結集させる効用をもっているという一点では共通するだろう。そこで、花火を打ち上げることにたいして、人びとはどのようにそれを受け入れているかという視点から、両者の相違点を浮き彫りにしてみたい。