杜煙火を支える人びと

824 ~ 825

犀川神社の杜煙火を支えているのは、旧久保寺村の西河原・小路・大門・差出の四地区に住む氏子の若い衆たちからなる花火方である。この四地区は西河原と小路で小西組、大門が大門組、差出が差出組と三つの組に分かれている。

 杜煙火が平成七年(一九九五)に長野市無形民俗文化財に指定されるにあたって、三組の花火方は久保寺煙火保存会と総称されるようになったが、花火の作製などについては合同しておこなうことはない。それぞれが別組織で、組に伝えられた花火をもち寄り、神社の祭りに奉納するという形をとっている。これは花火といっしょに奉納される神楽に関しても同様である。ちなみに、神楽・獅子舞をおこなう若い衆の集団は獅子方とよばれている。

 三つの組のうち、こんにち氏子が花火作製に参加する度合いがもっとも高いのは小西組である。小西組は前述したように西河原と小路の二つの字からなる組で、この地域は位置的にも犀川神社のお膝下(ひざもと)にあたる。神楽奉納についても、もとは小西組のみが神楽を奉納していたという記録もあることから、三組の氏子集団の中心的存在であるといえよう。

 小西組では、戦前であれば、尋常高等小学校を卒業したぐらいの年齢の男児に、ワカイシュ(花火方・獅子方)に入ってもらうようにしていた。こんにちではその年代では人が集まらず、だいたい二四歳以上になってやっとワカイシュに入ってくるような状態である。花火方あるいは獅子方に入っているものが声をかけてワカイシュに入ってもらっているという。そのさい、花火方に入るか獅子方に入るか、あるいは入らないかは本人の意思にまかせている。花火方と獅子方は同じ組のワカイシュとはいえ、まったく別の組織で、両方に入ることはまずなく、途中で所属を他方に変えることもありえない。