諏訪神社でも、奉納煙火のプログラムには大きな変化が認められる。そこで、平成九年度の諏訪神社秋季例大祭における奉納煙火のプログラムをつぎにあげてみよう。
第一部 境内の部
一 立火 一 参道 一 御神前 一 手ぼたん 一 仕掛「奉納 瓜割煙火」 一 瓜割の華 一 滝「清滝 華滝」
第二部 郷路山(ごうろやま)の部
一 開幕スターマイン「新諏訪町夜空を染める三色の華」 一 特別奉納スターマイン「音と光が響きわたる裾花峡」 一 瓜割名物「大綱火」 一 大仕掛「ポケモン」 一 特別奉納大スターマイン「ふるさとの自然を大切に 愛の花」 一 山頂打上「山頂大輪の花々」 一 超特大スターマイン「エンドレスサマー」 一 スペシャル大スターマイン「天から舞い降りる光と希望」 一 マタネ ◎打止 尺玉一発
以上のように二部立てになっているのがこんにちの森煙火である。花火を見物にやってくる氏子たちは、境内の部が終わると場所を移動して郷路山の部を見ている。
瓜割煙火の名物は、プログラムにもあるように大綱火と仕掛け花火である。
大綱火は竹筒花火の改良されたもので、基本的な作り方は前述の立火花火と同様である。しかし、立火がほんらい明かりとりのための花火といわれていたのと違い、大綱火はいわゆるロケット花火である。そのため大綱火には、点火する地点から郷路山頂上までの約五〇〇メートルを一気に駆けあがるだけの噴射力が必要となる。山の傾斜角は最初の三分の二は約四五度、山頂近くの三分の一は約六〇度と急勾配(こうばい)である。そこで、途中で花火が止まることなく、その噴射力だけで頂上まで飛ばすためには、火薬の詰め方や竹の重量に細心の注意が必要となる。
たとえば火薬を詰めるさい、最初に火薬を湿らすが、その湿り加減は握った火薬を離したときにやや崩れる程度とし、また、詰めるにも一〇〇匁(約三七五グラム)の火薬を口径約三センチメートル、長さ約二〇センチメートルの竹に、途中で手を休めることなく、三時間という時間をかけて固く詰めこむ。火薬を詰めこんだあとで、重量を軽くするため竹の表面を削るのだが、薄くしすぎれば発火の勢いで竹が割れるし、かといって厚ければ重すぎて火薬の噴射力だけで勾配のある五〇〇メートルを飛ばすことはできない。さらに、仕上げの穴あけも、そのあんばいは経験を積まなくてはなかなかうまくいかないという。この技術は大正初年に瓜割煙火会で研究、改良され、こんにちに伝えられている。
もうひとつの名物花火である仕掛けは、数色の花火によって文字や絵を浮かび上がらせるものから、順に傘が開く仕掛けが施された傘火(こんにちのプログラムでは「瓜割の華」とされている)とよばれるもの、からくり花火など趣向をこらしたものがあった。
傘火には三段傘・五段傘とあって、小さい傘から順に開いていくみごとなものだったが失敗することが多く、最近では一直線に傘をならべて開かせるように変えている。また、からくり花火は瓜割煙火会の語り種(ぐさ)になっている仕掛け花火で、引火中に手前の紙が幕引する仕掛けが施されている。これもまた仕掛けが大変なことを理由に、近年ではほとんど奉納されることはない。
このように、それぞれの演目内の小さな変化は年々あるようである。ところで、この二部立ての煙火奉納自体は大正時代以降の形で、明治期は境内の部のみの、文字どおりの奉納煙火であった。参考までに明治十二年のプログラムとそれに相当する現在の演目内容をつぎにあげておく。
一 玉火 今の「御神前」に相当する。一 手牡丹 一 立火 一 額火 文字を浮かび上がらせる仕掛け。 一 傘火 一 車火 今は仕掛け花火に組みこんでいる。 一 富士滝 富士山の頂上から火が吹き出す仕掛けになっている。 一 花滝 さまざまな色の滝を楽しむ。 一 打ち上げ こんにちのものに近い。ただし単発。
境内での奉納のみであった煙火が、境内の右後方、かつては採石山であった郷路山での打ち上げとの二部立てになったのは、奉納煙火に余興の占める割合が高まったこととともに、煙火会の組織化と、打ち上げ花火の技術の進歩にも理由があろうと思われる。