新諏訪町の奉納煙火は、安茂里の犀川神社のように氏子衆が三組に分かれてそれぞれ奉納するのと違い、ひとつの煙火会が取りしきっている。そのため「自分たちらしさ」を、犀川神社のように、自分たちの流派を他の流派との違いから確認するということはない。
しかしながら、新諏訪町には自分たち氏子が結集する核として、「瓜割魂」なることばであらわされる共同一致の精神がある。何かことを決めるとき、最初はなんだかんだと意見がまとまらなくても、いったん決定したら全員一致でことにあたる風が新諏訪町にはあって、そのような気風を瓜割魂というのだそうである。
この精神の発生には、奉納煙火が土壌にあるという人もいる。瓜割煙火の特色は、みてきたように仕掛け花火にある。これは、個人の技量よりも仲間が力を合わせなければできないものだ。仕掛け花火に限らず、花火をあげるという作業は、互いが仲間割れしていては事故につながる。そこで、共同一致を貴ぶ気風が自然とできたのだろうというのである。
このことに関連して、かつての村内で占めていた、若い衆の力の強さを示すエピソードかおる。それをつぎに記しておこう。