犀川神社の花火方にせよ、諏訪神社の煙火会にせよ、地域の人同士の紐帯(ちゅうたい)が薄くなっているこんにち、地域の人びとを祭りに向かわせるかつてのような絶対的ともいえる力をかれらはもはやもっていない。しかし、花火それ自体への熱中が地域のなかでまったくなくなってしまうということは考えられない。地域の熱意は長野市無形民俗文化財の指定を得た(犀川神社の杜煙火 平成七年度)、あるいは指定を得よう(諏訪神社の森煙火)とする動きにあらわれる。氏子中心の煙火奉納の形を消失させることなく今後につなげようという意識が、どのような過程をへて文化財指定獲得への活動につながったのか。このことは煙火のことだけではわかりようがないのでここでは省くが、ともかく両地区には一口に花火好きといわれる人びとが他地区に比べ多かったのだろう。
なかには打ち上げ従事者の免許を得て、年に一度のウブツナサンの祭りだけでなく、専門の花火師の手伝いをして一年中、半分商売のように花火にかかわる人も少なくない。