神社の境内で打ち上げられる奉納煙火を見る楽しみは、闇に突然発火し、さまざまに色合いを変化させる花火を、至近距離から見ることのできる点にあるのかもしれない。決して広くはない境内に、この日ばかりは家族づれの氏子たち、花火好きのよそからの見物人が大勢押しかける。
写真2-189は、平成九年犀川神社の杜煙火を開催するにあたって、保存会があらかじめ境内での各組の奉納煙火設置地点を指定したメモを現場の写真に記入したものである。境内の立火の周辺は、見物人の安全確保のため立ち入り禁止となっている区域もあるが、境内のほとんどは見物人が自由に煙火を見物してよいようになっている。そのため演目によっては花火と見物人の距離が二、三メートル近くまで接近することもある。見物人はときには火花をかぶることもあるが、その驚きすらも楽しみであるかのようである。
たとえば、演出上十二灯・三宝は会所が設けられた場所よりもさらに遠い、一〇〇メートル近く離れた場所からワイヤーをひき、ロケット式に竹筒花火を飛ばして着火するような仕掛けにしている。そうすると、拝殿への階段付近にいる見物人は、その一瞬みずからの頭上をロケット花火が飛び去っていくことになる。同じような演出は境内にも施されている。
当日は、境内放送で見物人への注意は呼びかけられてはいるか、境内の右から左へ、花火が頭上を駆けぬける瞬間のスリルは、奉納煙火を見るものたちにとっては大きなもので、わざわざその場所に移動しようとしたり、火花をかぶってあわてる見物人を見てあわてる見物人がいたりと、その演出は大きな効果をあげている。
犀川神社の花火方、瓜割煙火会の人びとによれば、花火作りのおもしろさは火遊びのおもしろさに近いという。とはいえ、花火作りのおもしろさは限られた氏子に限定されている楽しみにすぎない。それでも宵宮(よいみや)である奉納煙火の日には多くの人出があり、翌日の神事をしのぐほど多くの氏子たちにはなじみあるものとして浸透している。
境内という狭い空間で、至近距離から花火を眺める多くの見物人にとって、花火と自分との距離が近いだけに目と体で「火遊びを楽しめる」ことに、奉納煙火の大きな楽しみがあるのではないだろうか。