「十一月二十日と言えば、善光寺平の東山連峰には既に雪が来ていて、年によっては平地でも朝から小雪がちらついていた。二十日の宵は煙火が揚がるというので、昼間のうちに近隣の腕白どもが集まって、家の近くの見晴らしのよい南傾斜の畑の中に、煙火見物用の小屋の仮設に熱中した。(中略)やがて打ち揚げが開始されると、一発毎に歓声をあげ、手を叩(たた)いて喜び合った」。これは梶川忠作著『高土堤物語』のなかの一節であるが、これと同様の思い出をえびす講煙火にもつ人びとは多い。
主催する側の主な意図は、先にも述べたように店舗への集客であるが、それを見物する側にとっては別の意味が加わる。各商店の売り出し期間がこの時期に並行しておこなわれることから、こどもたちにとっては前からほしかったものを買ってもらえたり、小遣いがもらえたりする楽しみが、えびす講煙火を見る楽しみといっしょにやってくる。また、煙火を肴(さかな)にして一杯やろうと、この日には遠くの親戚を寄せたり、嫁いでいった娘が帰ってきたりと一族が一堂に会する機会にもなっていった。このことは、戦中戦後の一時期を除き、平成十年には第九三回大会を数えるまでに継続した煙火大会であるから成りたつことであろう。正月や盆につづく行事として浸透しているようである。
長野の冬はえびす講煙火とともにやってくる、と感じている人も少なくない。実際、この日を境に本格的な冬が到来する。えびす講煙火は打ち上げられた花火を見ることに固執しなくとも、打ち上げの音が聞こえてくるだけで人びとに冬到来の季節感を喚起させる、そんなイベントでもある。