イベントの誕生

849 ~ 850

開催するにあたって、主催者側の意図は大きく二点に集約される。ひとつは日程である。ニコニコお祝い花火は、平成九年(一九九七)で第二七回を迎えた長野びんずる祭りの翌日の夜に開催している。これはイベントに連続性をもたせるためである。どこの地区の祭りやイベントをみても、一日だけの企画であれば、市域を越えた動員は見こめない。この時期「長野に一度来れば二度おいしい」という気持ちにさせるように、主催者側は企画する必要がある。平成八年七月下旬から八月上旬に開催された市民のイベントを例としてつぎにあげる。

イベントのあとの( )は前年度の動員数である。

七月第三もしくは第四土曜日 篠ノ井合戦まつり(四〇連(れん)、踊り手三〇〇〇人、観衆四万人)

七月下旬~八月上旬     長野七夕まつり(七〇万人)

八月二日(金)       若穂ふれあい祭り(一八連、踊り手三〇〇〇人、観衆四万人)

八月三日(土)       長野びんずる(二六三連、踊り手一万六〇〇〇人、観衆二三万人)

八月四日(日)       長野川まつり(川下り出場三三チーム二二六人、魚つかみどり四〇〇人)

八月四日(日)       ニコニコお祝い花火(三万人)

八月十日(土)       飯綱火まつり(三万人)

 以上のイベントは実際には開催場所に地区的なばらつきがある。ニコニコお祝い花火を中心に考えれば、前記のうち長野七夕まつり(権堂一帯)、長野びんずる(中央通り・昭和通り・バスターミナル通り)が連続性のあるイベントである。

 開催意図の二点目は規模の設定にあらわれている。えびす講煙火大会は全国的にも名が知られた、規模の大きな煙火大会である。そしてその開催には地元企業からの出資に負うところが大きい。えびす講煙火と同様の規模の花火大会を夏にも開催するとなると、年に二度の出資は企業に大きな負担を負わせることになる。

 そこで考えられたのが、企業がスポンサーにつかなければあげられないような大玉花盛りの花火大会ではない、だれもがスポンサーになれるような花火大会の開催である。ニコニコお祝い花火では打ちあげられる花火の値段を三号玉一発四〇〇〇円とし、三発一組を基本としている。この程度の金額であれば、個人がスポンサーになって花火をあげることができるだろうというギリギリの料金設定である。

 規模を小さくし、だれもが花火のスポンサーになれるよう料金を低価格に設定することで、長野の夏の花火は市民参加型のイベントとして誕生した。