以上にみたように、ニコニコお祝い花火は市民参加型のイベントであるが、参加の直接性は、何も個人や団体で花火の打ち上げを申しこんだものだけにあたえられたものではない。花火を見にくる人びとにとっても、奉納煙火やえびす講煙火では楽しめない楽しみ方が出てくるのではないだろうか。
第一回のニコニコお祝い花火では、初めて開催されるイベントということで、花火打ち上げの依頼者が、企業・団体であっても個人であっても、そのメッセージの多くが個人的な祝い事に関するものになっている。そのなかで「夏バテ防止に一発!!」、「六人で一人二〇〇〇円ドッカーン!!」は異色である。何を意味してのものか一見不明だが、後者は依頼者が六人で三発の花火を打ち上げていることからその花火の値段(三発で一万二〇〇〇円)を意味しているものと思われる。同様の意味不明なメッセージには「BIG」(第二回)、「まい・じゅん・なつき・ゆか ドカーンと一発きめようぜ」(第二回)、「今夜はダイナマイト!!」(第五回)などがある。
花火の打ち上げのさい、これらのメッセージは読み上げられる。つまりこれらはその花火の名前に相当するものなのである。新聞などの掲載では、個々のメッセージを意識することはほとんどないと思われるが、ニコニコお祝い花火を打ち上げ現場で見物する見物人は、打ち上げに先行してこれらの一見意味不明な花火の名前を知らされる。
たぶんそれらの発信者が知人である場合は、のちに仲間内で話題にのぼるものもあるであろう。だが多くは花火を見る楽しみのほうが勝り、メッセージは聞き流される。しかし、なかには無関係な見物人に具体的な想像力をかきたてるメッセージもある。たとえば、「上原有加利さん入社おめでとう」、「ゆうちゃんごめんね うちに居なくて パパより」、「びんずるに終わった今年の夏 我らの怒り今宵(こよい)咲きみだれる」(ともに第五回のものから)などである。入社した会社から(依頼は個人ではなく企業名)おめでとうといわれる上原さんとはどんな女性なのだろうか、いつも家にいないパパからの花火のプレゼントをゆうちゃんは喜んでくれたかな、彼らはいったい何にたいして怒っているのか何もなかったからかなどなど。当事者とは無関係であるがゆえに、メッセージを受けとる見物人の想像は膨らんでいく。また、祝い事の内容がはっきりしている場合でも、メッセージ内容に個人性が強調されればされるほど、他者が、そのメッセージの背景にあると想像する物語を読み取るための隙間が生じる。これは見物人の新たな楽しみ方といえよう。
見物人の想像力をかきたてるといえば「当方三二歳、嫁求む!」(第二回)、「当方三三歳。嫁求む継続中」(第三回)、「趣味は、読書・映画鑑賞・旅行・他」(第三回)、「当方三四歳。嫁求むまたまた継続中」(第四回)、「お申込みは下記住所まで」(第四回)という、同一人物発の結婚相手募集広告が圧巻だろう。どこかに遊び心を残しつつ切実さを漂わせるこれら一連のメッセージは、第五回プログラムからかれの名前が消えたさい、とうとう祈願が成就したのかと主催者に問い合わせがくるほど人びとに注目されたメッセージであった。
ニコニコお祝い花火は始められてからまだ回数が少なく、今後どのように市民参加の型が動いていくかまだ流動的なイベントである。だが、第一回から第五回までの参加の形式やメッセージ内容から類推するに、企業・団体、個人の依頼にかかわらず、より個人的な意向が花火に託されるようになってくるのではないだろうか。
ごく私的なメッセージとして第一回からときたまみられるのが、花火をとおしてプロポーズのメッセージを送るというものである。第五回のものは、翌日の『信濃毎日新聞』紙上でもそのメッセージが取り上げられ、打ち上げ現場でもこのメッセージが読み上げられるや「いいねえ、こうゆうの」と感心しているカップルがあった。花火のメッセージでプロポーズすることの有効性はともかく、ひとつの方途として花火を利用することにかれらは気づいたのであろうし、今後このようなメッセージが増えていかないとは断言できない。
メッセージの発信者から距離があり、見えない発信者の個性を感じさせるメッセージであるから想像をたくましくできる楽しみ、あるいはメッセージ内容を自分に引き寄せて考える楽しみ。このような、花火それ自体ではない、花火の背景を読んでいく楽しみ方は、花火をみること(感じること)を中心とする奉納煙火やえびす講煙火からは出てこない見物人の楽しみ方であろう。