江戸時代も後半になると、花火は一部の兵術家の秘法としてではなく、庶民の楽しみのために利用されるようになったという。そのころから多くの人寄せをするための核になるだけの楽しみを花火は人びとにあたえてきたといえよう。
本節後半で述べたえびす講煙火大会とニコニコお祝い花火は、前半の奉納煙火と違い、行政の主導のもとに開催され、発展してきた花火大会である。そのためこれらの行事は、特定の地域の住民のためというより、全市的な目的、意図のもとに企画運営される。そのため、イベントの意図は奉納煙火に比べて流動的にならざるをえない。あるときは見物目当ての集客をその核に、時代が移れば長野市を代表するようなイベントとして市の内外の見物客を引きつける核として、花火の打ち上げやもろもろのアトラクションが付け加えられていく。
特定の地域にこだわらない、広い範囲から大勢の人びとを集めることを目的としたイベントに花火を用いることは、いまや全国的、世界的であり、その技術革新ももはや狭い地域を越えている。とはいえ、規模の大小にかかわらず市域の神社では祭日に花火を打ち上げることが多く、またニコニコお祝い花火のようにユニークな企画が開催されるような背景に目を向けるとき、花火を作り楽しみとする気風が、氏子組織を中心にはぐくまれてきた長野の文化的伝統も考慮に入れるべきであろう。