第二次世界大戦後の社会的変化にともない、しだいに町と在との社会的差異は縮小していった。まず、町の近郊地帯には、つぎつぎと家が建てられていった。景観としての町と村とは存在しつづけながら、その境界的な部分が徐々に埋められていったのである。それはいわゆる都市の拡大であった。
そうした都市の拡大は、空間的なものだけに限定されていたのではない。生活それ自体にも町-都市的なものが拡大しつつあったのである。生活改善の活動は婦人会を中心として、台所の改善や食事の改良、あるいは衛生観念の高揚などによって日常的な生活も変わっていった。囲炉裏(いろり)は竈(かまど)になり、電気やガスを用いる調理も増えていった。それは燃料の変化をともない、食品も店から購入するものが増加した。
副食物としては、家の畑でとれた季節ごとの野菜を自家製の味噌(みそ)や醤油(しょうゆ)で味付けしたおかずや漬物類であったものが、油を使った炒(いた)めものや、魚や肉類も毎日の食卓に登場するようになっていった。毎日毎日同じような献立であったものも、しだいに主婦の好みやこどもの要求にしたがって、工夫がなされるようになった。それは冷蔵庫の普及によっていっそう加速された。
かつて、町と在とのあいだには大きな相違があると考えられていたのが、いつのまにか毎日の生活内容においてはそれほど違わなくなっていたのである。それは、いっぽうにおいて農業の衰退およびその価値の低下を招くことになった。人びとは村を捨て町に生活の場を求めた。そうした人びとの住まいが、町のなかに収容しきれなくなって近郊地帯をしだいに埋めていったのである。
初めは個々に、各人の事情によって思い思いに家を建てていたが、ときには一定の範囲に住宅地を造成しなくてはその需要に追いつけなくなった。集団住宅地(団地)の出現である。