初めて地域生活をともにしようとする人びとは、出身地も異にする初対面の人びとである。そのため近所の家の一室を借りたり、近くの公会堂などを借りたりして住民組織を作るために何回も会合を重ねたという。どのような組織を作るかは、これから生活していく社会環境を作るための基礎になることだけに真剣であったという。企業局への要望なども話し合われ、まず出されたのが、独自の集会のための施設であり、団地の集会所などが作られた。また自治会の規約作りなども最初に取り組む作業の一つであった。公務員や企業などで規約を扱った経験のある人が多いので、それぞれに意見を出し合って作ったというところもあるが、浅川団地では県(あがた)町の規約をもとにして作ったといい、モデルをもとに実態に合わせて作ったところもある。
新しい町の形成のためにはその町名が大きな関心の的になることが多い。しかし、公営団地の場合は多くはすでに名称が付けられており、住民によって、話し合われることは少ない。ただ、団地名と地籍名とが同じである若槻団地においては、近年町名についての意見交換がおこなわれたことがあった。個人の造成した団地においては、その規模がかならずしもそれほど大きくないこともあって、大きな関心とはなっていない。町名に新しい住民の思いをみずからの手でこめることはほとんどない。
ともかく、いずれの自治会においてもその環境の整備や維持とともに、住民が住みやすく、仲よく暮らせるような街づくりをしようとしている。それは、在来地域との関係や、新たに形成しようとしている自分たちの地域の確認でもある。そのために若槻団地の『自治会だより』、浅川団地の『団地会報』のような通信的なものを発行しているところも多い。また、みずからの歩みをまとめることもある。若葉町では昭和六十二年(一九八七)に『若葉町発足二十四年記念誌 子孫に残して』を刊行している。こうした記念誌は若穂団地などでも刊行しており、新しい町の形成の過程を確認するものである。