こどもを中心として

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新しい住宅地に入居した人びとは、入居の条件を満たすことができる経済力と家族とをもっている。したがって三十代から四十代の人びとが多く、小学生以下のこどもも多かった。いわゆる核家族が大半であり、老人の姿はほとんど見られなかった。こどもの手が離れた母親も勤めに出る人が多く、共働きの家も少なくなかった。

 そして各家庭におけるこどもの数は少なく、こどもにたいする関心は高かった。それが学校教育にたいする過度の期待ともなり、ときにはPTAの会合において、農家の親との意見の相違としてあらわれることもあった。かつて心ない母親が勉強しないこどもに、田の草を取っている農家の人を指して、「勉強しないとあのおばあさんのように田を這(は)って歩くようになるよ」といったなどという、今では考えられないような非常識な差別的発言もあったという。仕事をさせるよりも勉強させようとし、より高学歴を志向する傾向もあった。そのため、塾や習い事をしているこどもの割合は、九割を超えているという。

 こども中心の生活とはいえ、経済的な豊かさを求め、共働きをしている母親は、料理を作っているひまがなく、けっきょくは外食をしたり出来合いのものを買ってきて食べさせることが多くなってしまったともいう。こどもが外で遊ぶことも少なくなり、親も外で遊ばせようとすることが少なくなった。そのため仲間作りもできにくくなってきているという。