浅川団地や若葉町などでは、新しく神社を創建して祭りをおこなっている。新しく作られた地域においては、住民のまとまりと心のよりどころになるものとして神社を位置づけ、祭りを実施しているところが多い。
新しくまつられる神は、近在の神社から分祀(ぶんし)されることもあるし、新たに本社から迎えられるものもある。しかし、まったく無関係に迎えられるのではなく、そこになんらかの関係を見いだそうとする。伊勢宮団地では伊勢皇大神宮を勧請(かんじょう)して伊勢宮神社を創建したが、その過程で、かつて神社合祀(ごうし)で廃社された祠(ほこら)を迎えようとしたし、それがかなえられないとなると地名にゆかりの神社を迎えようとしている。だが、多くの団地などでは団地の組織それ自体が宗教に直接かかわることを避けようとしている。その結果、奉賛会や氏子会・崇敬会というような任意組織としたりして、宗教的色彩を排除しようとする。
伊勢宮団地ではさまざまな論議のすえに、「宗教的信仰の対象としての神社というよりは、このお社を造り、その祭りを創り出すことで、区民運動会や文化祭といったものの持つ、地区の人々の親睦や親善をはかるといったようなものと同じようなものを育てる」「区の神社として氏子を区民とする。ただし氏子になるかならないかは任意とし、また、行政とは切り離して神社の運営をおこなう。ただし、しばらくは今までの行きがかり上事務的な手伝いはする」という条件を付けたという(高橋二夫「都市化地域(新興住宅地)に於ける民俗の成立」『長野県民俗の会会報』4)。こうした条件は、明文化してはいなくても、ほとんど、どこの団地においても同じような考え方のもとに神社を創建し、祭りをおこなっている。
団地の神社や祭りには神は存在しない。ただ人びとのふれあいの機会を創出し、親睦をはかり、地域社会を形成していくための手段となっているのである。そして、その機会をより華やかにするためにどこでも神輿を作り、花火をあげ、こどもたちを参加させようとする。それは「こどもたちに故郷を作ってやるため」であるという。「故郷作り」ということばはしばしば聞かれる。そのために神社を創建し、祭りをおこなうというのである。
しかし、なぜ手段として神社や祭りが取りあげられるのであろうか。多くの人は、生活体験や出身地が異なっていても、共通の体験が神社であり、祭りだからであるという。これはドンドンヤキにたいする視線と同じである。ある意味で親の体験を、形だけであってもこどもたちに体験させたいのである。そこにはまったく新しい地域社会であっても、在来の社会との連続性が存在する。神社がなければ「初詣に行くところがない」「こどものお宮参りをするところがない」などという理由も、神社を創建する理由の一つになっているのである。