はじめに

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 祭りの基本は、神を迎え、神をもてなし、神を送ることだとされる。迎えられた神は、氏子たちに五穀豊穣(ごこくほうじょう)や無病息災や家内安全を約束する。したがって、ほんらい祭りは、まつり手たちが自分たちのためにおこなう生活を維持するための切実な行事であった。また、祭りは近年まではその町や村の若者たちによって運営され維持されてきたといわれる。村の春祭りや秋祭り、都市部の夏祭りでのお神輿(みこし)や神楽(かぐら)などのにない手は、十代から三十代までの若い男たちであった。

 長野市においては、問屋や市場(いちば)などの集団移転や町の全面的な区画整理、マンションやアパート群の建設ラッシュなど町の外観が大きく変わり、それと並行してまつり手として昔からそこに暮らしていた氏子の数が減少した。この祭りの中心的にない手や後継者の減少傾向は、地方の村だけでなく町の中心部においても生まれている。その結果、従来からおこなってきた祭りをそのまま維持し運営していくことが困難になってきている。しかし、まったく祭りをやめてしまうのではなく、新たに祭りを復活させて町の活性化や結束性を高めていこうとする動きがあり、祭りの協力者を地域の外から募って維持していこうとする動きもみられる。