獅子神楽の歴史

875 ~ 876

 春秋の祭りには、さまざまな民俗芸能が奉納されてきた。とくに秋祭りは五穀豊穣の感謝を意味する収穫祭であったので、神楽の獅子舞(ししまい)はにぎやかに奉納されたものだった。獅子は、真っ赤な顔で口は耳元まで割れ、大きな金色の目をもつ。この獅子は悪魔をはらう力があり、土地や家々に繁栄と幸せをもたらすものと信じられた。獅子頭だけでなく、さらに、御幣・鈴・剣などをもって舞うのは、神が訪れた家の場を清めるとされた。『日本民俗事典』(弘文堂)によると、獅子の霊力によって悪魔払い・火伏せ・延命息災を祈禱(きとう)する獅子神楽は、伊勢のお祓(はら)いと称して諸国を巡回する太(だい)神楽の流れをくむという。御師(おし)が獅子頭を奉じて諸国をめぐり、家々の前で祈禱の舞を舞うというのが基本的なもので、各村人は氏神祭りの奉納芸能あるいは余興芸として積極的に太神楽の芸を習得した。平林(古牧)の獅子舞は、赤野田(若穂保科)の流れを汲(く)むものであるとされている。そして、今も祭りの日には村舞として氏子総代や新築した家などへの悪魔払いの舞をしたあと、村の神社で本舞がつづけられている。


写真2-202 獅子舞 (古牧平林 平成9年)

 平林では本舞のとき、神社でつぎのように神楽唄(うた)がうたわれる。

  ヤレナー

  富士の白雪ヤレッ朝日にとけて

  コレワイサーノーサー

  あんまり毋ちやんはらむなよ

  おじいちゃんおばあちゃんがヤッご迷惑

  コレワイサーノサー

  これでとめればヤレッ氏子もご繁盛

  コレワイサーノサー

  東西南北悪魔を払ってめでたいな