若者連のになった村の祭礼

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 平林若者連の記録『平林若者連永代記録』(長野郷土史研究会)をみると、村の若者連についてのきまりが記されている。これは宝暦六年(一七五六)から昭和三十六年(一九六一)までの約二百年にわたって書き継がれたもので、そこにはつぎのような「規定」が記されている(句読点などを補う)。

       天保七年の議定

一 父母へ孝行を尽し、兄弟中能(なかよく)、夫婦睦敷(むつまじく)、家内和合いたし、家業出精仕(つかまつり)候事ハ、人間生涯之一大事之事候えば、若キ時勤行セざれバ、一生人之道を失ふ事なれバ、命かぎり日々出精可勤(つとむべき)事。

一 年中両度并(ならびに)春祭礼日には、明(あけ)六ッ時より社内え相集り、第一掃除亭寧(ていねい)にいたし、万事万端大切に心掛可奉神崇事。

一 人道は慎(つつしみ)第一之事に候。喧嘩口論いたし候ハ、必竟(ひっきょう)不慎より事発(おこ)り、其上理非不相分カ故之義候えば、相互に、何事によらず、少々之行違堪忍いたし合候えば、喧嘩口論及び候義ハ無之(これなく)候。別若者仲間ハ兄弟同様之事候えば、人々慎専一之事候。

一 盆踊、獅子舞、角力(すもう)、花火等思ひ立有之(これある)節ハ、役本え伺ひ、三役人・頭立(かしらだち)之差図可請(うくべき)事。譬(たとい)如何様之事にても、役人中之下知相背候事堅く致間敷(まじき)事。

一 他所へ奉納物に付、灯籠(とうろう)・幟(のぼり)之類は格別、獅子舞、花火、又格別目立候義ハ、役本え伺差図可請事。

一 世話方より廻章相廻し候ヘバ、急度(きっと)打寄相談可仕候。若無拠(もしよんどころなき)儀て他行仕(つかまつり)候節は、世話方え急度相届ケ可申事。

一 年十五才相成候ハバ、其親元内談いたし、若者仲間へ結入可申候。世話役之義、年重て可致順番候。古例之通三十五才之暮ニハ致退役、仲間相除き可申事。

一 人生まれて七八才より手習いし、十才頃より算盤(そろばん)稽古不致候えば、生涯無筆無算と人被笑(わらわれ)、自心ても甚恥敷思ひ候。十五才より身ヲ治め、家ヲ調(ととのへ)候事を学び不申候ヘバ、成人次第不埒(ふらち)相重り可申候(後略)。

 この八ヵ条には、若者仲間に一五歳で入会し、三五歳で退会するまでの村の祭礼における若者の役割が記されている。盆踊り、獅子舞、角力、花火など村の娯楽は若者によって執りおこなわれていたのである。また、灯籠、幟、獅子舞、花火などを他村でおこなうこともあったことが記され、他村とのつながりが強かったことがうかがえる。さらに、若者は手習いや算盤に励むことが勧められており、この教えは現在、村で獅子舞を継承している古老にも伝えられているという。この議定の最後では、この八ヵ条をしっかり守るべきことを説き、もしこのきまりに背くことがあれば、恥ずかしいことで、世間にも外聞が悪く、「一村之名折(なおれ)」になるのでよくよく承知すべきであると結んでいる。

 さらに、三〇年後の元治二年(一八六五)には四つの規定が記されている。

     規定

  一 御上様之御定不及申上、村役元之御掟急度(きっと)相守可申候事。

  一 年中祭礼之節、明(あけ)六ッ時より社内相集、入念掃除可致候事。

     附り、世話役より回章相廻り候ハバ急度集会相談可致。若他行いたし度(たく)候節は、当番え相届可申事。

  一 御法度博奕(ばくち)は勿論、遊女通并(ならびに)大酒等致間敷候事。

  一 次男・三男たり共、拾五歳より親元え相談仕、連中え結合申候。以上。

 ここでは、祭礼にさいしては若者の勤めとして村の神社の掃除をすべきことが説かれ、氏神のまつられる社への積極的な奉仕を若者連に求めている。また、長男だけでなく二男や三男も若者連へ入会することをよびかけている。

 時代が下って、昭和三年(一九二八)には若者連の規約が詳細に記されている。

    平林若者連規約

     名称

  第一条 本団体ヲ平林若者連卜称ス。

     組織

  第二条 本若者連ハ平林区在住ノ男子ニシテ満十五才以上満四十一才以下ノ加入者ヲ以テ組織ス。

  第三条 前条年齢該当者ハ一戸一名必ず加入ノ事。但シ在学中ノ者ハ此ノ限りニアラズ。

     目的

  第四条 本若者連ハ、連中ノ親睦ヲ図リ、風紀ノ改善ヲ期シ、祭典ニ関スル諸行事ヲ行フヲ以テ目的トス。

     事業

  第五条 本若者連ハ目的遂行ノ為メ左ノ諸事業ヲ行フ。

   一、年一回(一月)総会ヲ開ク(但シ必要ニ応シ臨時総会ヲ開クコトヲ得)。

   二、安達(あだち)神社ニ関スル左ノ諸事業ヲ行フ。

   (一)春季例祭(五月五日) (二)御祭礼(七月二十八日) (三)秋季例祭九月二十二日 (四)御年越(神嘗祭(かんなめさい))十二月十五日 (五)神武天皇祭 天長節 二百十日祭(八月三十一日) (六)臨時祭 (七)元旦祭

   三、平林観音堂縁日(四月十八日)

   四、其他目的遂行ノ為メ一切ノ事業

     役員

  第六条 本若者連ハ左ノ役員ヲ置ク。

   一、頭番一名  一、副頭番二名  一、相談役若干名

  第七条 頭番ハ年長者ヲ以テシ若者連一切ノ事務ヲ統轄ス(但書略)。

  第八条 副頭番ハ次年度頭番二名ヲ以テス。内一名ハ庶務係トシ、一名ハ世話係トシ、頭番ヲ補佐ス。

  第九条 相談役ハ頭番終了者ヲ以テシ、頭番、諮問ニ応ズ。

     勤務

  第十条 神楽・囃方(はやしかた)・獅子舞ハ満二十五才(三十五歳)以下ノ者トシ、稽古ハ秋祭前一週間頭番ノ指揮ニ従ヒ練習ス。

  第十一条 月番ハ満二十九才以下ノ者及ビ加入後三ヶ年ノ者トシ、頭番ノ指揮ニ従ヒ雑役ニ服ス(但書略)。

  第十二条 満三十才以上ノ者ハ灯籠張替及ビ神楽ノ警護ヲナス。

  第十三条 諸建物ノ場合及ビ集合ノ時ハ、時間ヲ厳守シ、止ムヲ得ズ不参ノ場合ハ、其事由ヲ頭番ニ申出テ代理者若クハ代償金ヲ提出スベシ(但書略)。

        (第十四条より第二十一条まで略、他に「内規」八ヵ条がある)

 この規約は、昭和三年一月の若者連の初集会の折、規約の改正をしたいという声を受けて決められたものである。これまで若者連の規約は、時代の変化にしたがって変更されてきたのであるが、まったく不文律のまま実施されてきたので、現代に適応するよう改善したいという願いにもとづいて明文化されたものである。とくに組織の面では、一五歳から四一歳までの男子まで加入できるというように、若者連の年齢幅が広くなった。ただ、第三条はその後削除された。役員は、頭番一人のほかに副頭番二人をおくように決められ、頭番の任期は一年ないしは半年と決められた。さらに、神楽や獅子舞をする年齢も二五歳以下と決められ、稽古も秋祭り前一週間とされた。この年齢はのちに三五歳以下とされた。若者連のなかで年下と年上の役割も明確にされた。