若者連が解散したのちは、三十代を中心とする一三人ほどの有志が集まって保存会を作り、祭りにおける神楽の奉納が継承されていくことになる。
長野市内の町々から要請されて平林の若者連がおこなってきた出張神楽も、この人びとによって継承されていく。平成九年度の出張神楽予定表によると、八月十八日の西後町の仲町稲荷社から始まって、十月九日湯福神社のお祭りまで、二ヵ月間に約三十回の神楽を出している。各町に神楽舞のゴッシャン(師匠)たちがいたときにはもっと少なかった。しかし、祭り日に氏子の町から神楽を出すことができない町が多くなり、そうした町からの要請を受けることが多くなったので、多いときには八月から十月初めにかけて五〇ヵ所から要請をうけた年もあった。だが、近年、九反・妻科・新田町・上松など神楽が復活する町も増え、出張回数が減つてきたという。
各家の悪魔払いをするのには、獅子舞をする人、囃(はや)し方、笛を吹く人、鉦(かね)をたたく人、リヤカーをひく人などが必要である。したがって、現在交替制で十数人の保存会の仲間でやっているが、平均年齢があかっているため継承を危ぶむ声が出ている。そこで平成八年にはつぎのような「平林区民及び氏子の皆様へ」という回覧文を配布してよびかけ、また氏子の家を一戸一戸訪問して勧誘したりもした。
皆様には、平素安達神社を産土(うぶすな)神としてご崇拝いただくとともに、祭事にはあらゆる面でご協力を頂き誠に有り難く厚く御礼を申し上げます。さて、皆様方に改めてご協力をお願い申し上げます事は、祭礼に無くてはならない神楽獅子舞についてでございます。
ご承知の通り安達神社の神楽獅子舞も昭和三十年前半までは平林若者連という組織があり三百年ちかくにわたり代々受け継がれて参りましたが時代の流れには抗しがたく遂に解散した次第です。しかしながらさる八月末長野市民新聞にも掲載の通り長野市全体にもこの神楽獅子舞の技をもった役者が減り、というよりも神楽のない神社が数多く、これからその技をならおうと一生懸命の神社もそこここに見受けられて参っておる由でございます。
さて皆さん当町においてはお蔭様で保存会の方々がおられやって頂いているから良いようなものですが、現在神楽を守っていてくれる方々も若手のくる事を信じつつ何年も前から町内の方に入会し神楽を守って戴きたく何年も回覧をだしたり特定の方々のお宅へはお伺いして参った次第です。町内の方で習って頂ける方がおりましたら、来年といわずいますぐにもお申し込みを願い、来るオリンピックに本役者として舞って戴(いただ)くようお待ちしております。
しかし、基本的な考え方の違いもあってなかなか入会者が得られなかった。そこで視点をかえ市内の新聞に「神楽の神随を追いませんか」と投稿してよびかけをし、地元外に在住の有志を集めたいと考えた。そのかいあって市内に住む四十代の男性が、笛を習いたいということで入会した。四月から月四回、第二・第四の火曜日と木曜日にお宮で稽古をしたが一回も休むことがなく見込みがあるという評価を得た。またこれも地元ではないが二十代の女性がぜひ獅子舞をやりたいというので、女性を入れるのは初めてであったが入会を許可した。獅子舞の名手といわれるEさんには上松や妻科、吉田などに獅子舞の基本を教えた外弟子(そとでし)は多いが、女性の内弟子は今までいなかった。しかし、一年めは村舞を教え二年めは本舞を教えた。この女性は、首の角度をどうしたらよいかビデオを見て研究するほど熱心な人で、足の運びや指の動かし方に女らしさが出ており、もう三〇回以上も出張神楽で舞をこなすほどになった。