番号の表記は位置図(3ページ)の凡例による
解説文中の記号は ①年代、②所在地、③所有者または管理者、④指定年月日
1 川柳(せんりゅう)将軍塚・姫塚古墳 国史跡 ①4世紀中葉~5世紀前半 ②篠ノ井石川 ③湯ノ入神社ほか ④昭和52.7.14 篠ノ井石川の湯ノ入山頂尾根に築かれた前方後円墳。全長93mは県下第2位、後円部径45m、高さ10m、前方部幅26m、高さ5m。200m離れた尾根上にこれより古い姫塚(ひめづか)古墳がある。全長約32mの前方後方墳である。
(1 2 3 4の写真提供 市教委文化財課)
2 伝川柳将軍塚古墳出土品 県宝
①4世紀中葉~5世紀前半 ②市立博物館 ③布制神社 ④昭和49.1.17 川柳将軍塚は寛政12年(1800)、下石川の農民によって発掘され、出土品の銅鏡6面・玉類など668点が保存されている。
3 土口(どぐち)将軍塚古墳 県史跡
①5世紀後半 ②松代町岩野 ③林正一ほか3人 ④昭和48.3.12 千曲市土口との境にある。尾根上に立地した前方後円墳。全長65m、後円部径30m、高さ5m、前方部幅26m、高さ4.5m。墳丘は二段築成され、埴輪(はにわ)の配列と全面の葺石(ふきいし)が認められ、竪穴(たてあな)式石室2基がある。
4 大室(おおむろ)古墳群 国史跡 ①5~8世紀 ②松代町大室 ③長野市ほか ④平成9.7.28 松代町大室を中心に東西約2.5km、南北約2.5kmの範囲以内に分布する、約500基の積石塚(つみいしづか)古墳群。そのうち大室谷の166基(積石塚(つみいしづか)118、合掌形石室(がっしょうがたせきしつ)の古墳7基など)が指定された。朝鮮半島からの渡来(とらい)系集団の墓制で、馬生産に携わったとみられる。
5 菅間王塚(すがまおうつか)古墳 県史跡 ①6世紀末~7世紀前半 ②松代町東条 ③青木一幸 ④昭和40.2.25 菅間集落の東方標高478m付近に立地。径34m、高さ6.7mの円墳で県下最大級の積石塚古墳である。石室は長さ3.5m、幅1.25mの合掌形石室で、赤色塗彩(とさい)されている。
6 桑根井空塚(くわねいそらづか)古墳 県史跡 ①6世紀末~7世紀前半 ②松代町豊栄 ③村松幸治 ④昭和40.2.25 桑根井集落北の畑のなかにあり、現状は墓地。径17m、高さ3.4mの土石混合の円墳で、横穴式の合掌形石室が残っている。
⑦ 銅造観音菩薩立像(どうぞうかんのんぼさつりゅうぞう) 重要文化財 ①7世紀後半 ②若槻吉山千寺(よしさんせんじ) ③丸山保重ほか4人 ④昭和12.5.25 像高は29.7cm。髪は単髻(たんけい)で、三面頭飾(とうしょく)、正面に化仏(けぶつ)を浮き彫りにしている。像は身体に比して顔が大きく手足が長く、微笑や衣文(えもん)の形など飛鳥(あすか)仏の特徴を残す。県内最古級の小金銅仏の優品である。(⑦⑧⑨⑩写真提供 県立歴史館・県教委蔵)
⑧ 木造千手観音菩薩立像(もくぞうせんじゅかんのんぼさつりゅうぞう) 重要文化財
①9世紀後半 ②松代町西条 ③清水寺(せいすいじ) ④昭和12.8.25 清水寺は真言宗豊山(しんごんしゅうほうざん)派の寺院で、千手観音菩薩立像はこの寺の本尊。像高178.8cm、桂(かつら)材の一木造(いちぼくづく)り、漆箔(しっぱく)(漆箔は江戸時代の後補)。平安時代前期から中期の一木造りの手法により平静な表情で姿勢は端麗。県下の木造彫刻では最古最優秀の像である。桂材使用から地元仏師の作とみられる。
⑨ 木造観音菩薩立像 重要文化財
①10世紀前半 ②松代町西条 ③清水寺 ④昭和12.8.25 本尊の千手観音立像と同様に県下最古の像の一つで、本尊の左脇に安置される。聖(しょう)観音と思われる。桂(かつら)材の一木造り、漆箔(しっぱく)(後補)。高さ157.0cm。肩の張りや二段にしまる胴、腰部(ようぶ)のふくらみやひねりなど特異な作風である。
⑩ 木造地蔵菩薩(じぞうぼさつ)立像 重要文化財
①10世紀前半 ②松代町西条 ③清水寺 ④昭和12.8.25 本尊の千手観音立像の右脇に安置される。左脇の観音立像と同一作者。像高157.0cm、桂材を用いた一木造り、肉身漆箔(しっぱく)、衣部彩色。両手・両足先や台座・漆箔などは後補である。
11 木造薬師如来(やくしにょらい)立像 県宝
①10世紀後半 ②松代町西条 ③清水寺(せいすいじ) ④昭和44.10.2 像高104.0cm、桂材の一木造(いちぼくづく)り。肉身は漆箔(しっぱく)押しで、衣は古色(こしょく)。毛髪に螺髪(らほつ)をあらわさないのは珍しい。台座・光背(こうはい)などは近世の後補である。
(11 12 13写真提供 市教委文化財課)
12 木造伝観音菩薩立像(十一面観音菩薩) 県宝 ①10世紀前半 ②安茂里大門 ③正覚院(しょうかくいん)(窪寺(くぼでら)観音) ④昭和34.11.9 像高181.2cm、桜材の一木造りで両肩は矧(は)ぎ付け。天平彫刻を思わせる古様の像容だが、裳(も)の折り返しや衣文(えもん)の構成などは10世紀前半のもの。松代町清水寺の古仏とともに県下最古級の作品である。
⑬ 木造十一面観音菩薩立像
重要文化財 ①10世紀後半 ②信更町山平林 ③観音寺 ④昭和12.8.25 観音寺の本尊。欅(けやき)材の一木造りで像高は153.9cm。地方作の古像。頂上仏・頭上面や玉眼(ぎょくがん)など補修が加えられている。
⑭ 木造阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう) 重要文化財
①12世紀後半 ②若穂綿内 ③蓮台寺(れんだいじ) ④大正3.8.25 桂(かつら)材の寄木造(よせぎづく)り、像高106.4cm。もとは九品仏(くほんぶつ)の中尊(ちゅうそん)である。用材、技法などから地方仏師の作であるが、平安・鎌倉両様の手法を示す優品である。台座・光背は後補である。
(⑭写真提供 蓮台寺)
⑮ 鉄鍬形(てつくわがた) 重要文化財
①12世紀 ②若穂保科 ③清水寺(せいすいじ) ④大正3.8.25 寺伝によると坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の奉納という。鉄鍬形は兜(かぶと)の正面の飾り物である。全長42.4cm、枝張(えだはり)16.7cm。現存の鍬形では日本最古のものといわれ、簡素で美しい。枝の台裏には、金銅雲竜文(こんどううんりゅうもん)の象嵌(ぞうがん)があり、古様(こよう)の平安時代を下らない作と考えられる。大正5年(1916)の大火のさい、両界曼荼羅図(りょうかいまんだらず)とともに焼失を免れた。
(⑮⑯写真提供 県立歴史館・県教委蔵)
⑯ 絹本著色両界曼荼羅図(けんぽんちゃくしょくりょうかいまんだらず) 重要文化財 ①13世紀 ②若穂保科 ③清水寺 ④大正4.3.26 金剛界(こんごうかい)・胎蔵界(たいぞうかい)の2幅(ふく)からなる両界曼荼羅図である。ともに縦104.5cm、横86.1cm。剥落(はくらく)と補修がいちじるしいが、鎌倉前期にさかのぼると考えられる。県下における曼荼羅図の最良品である。
17 木造金剛力士(こんごうりきし)像 県宝 ①14世紀前半 ②信更町三水(さみず) ③長勝寺(ちょうしょうじ) ④昭和37.7.12 像は犀川を見下ろす寺の仁王門に安置されている。像高は右の阿形(あぎょう)が194.5cm、左の吽形(うんぎょう)が197.2cm。檜(ひのき)材の一木造(いちぼくづく)りである。玉眼(ぎょくがん)を用いず彫眼(ちょうがん)で怒りをたたえた目を刻(きざ)みだし、力強さがある。 (17写真提供 市教委文化財課)
18 熊野出速雄(いずはやお)神社本殿 県宝 ①室町時代後期 ②松代町豊栄 ③熊野出速雄神社 ④平成6.8.15 本殿は皆神山(みなかみやま)山頂にある。中世には熊野系の修験道(しゅげんどう)の聖地で、「熊野三社権現(さんしゃごんげん)」とよばれた。梁間(はりま)3間(けん)、桁行(けたゆき)5間、屋根は鉄板葺(ぶ)き(もとは茅葺(かやぶ)き)。撞木造(しゅもくづく)りで、正面に入母屋破風(いりもやはふ)を向けた妻入(つまい)りであるが、後方の柱間3間の屋根は棟を左右に向ける。
⑲ 葛山落合(かつらやまおちあい)神社本殿、附(つけたり)棟札1枚 重要文化財 ①寛正6年(1465) ②芋井入山 ③葛山落合神社 ④昭和11.9.18 この地の豪族落合氏が勧請(かんじょう)したと伝えられる。本殿は南面し、一間社隅木(いっけんしゃすみき)入り春日造(かすがづく)り、杮葺(こけらぶ)き。北信では例の少ない形式の建物である。桁行(けたゆき)、梁間(はりま)ともに188.8cm、向拝(ごはい)140.9cm。妻璧が菱格子(ひしごうし)なのはほかに例がなく珍しい。
(⑲21写真提供 市教委文化財課)
20 葛山落合(かつらやまおちあい)神社境内諏訪社社殿 県宝
①室町時代後期 ②芋井入山 ③葛山落合神社 ④昭和37.7.12 本殿の東にあり、一間社隅木入り春日造り、杮葺(こけらぶ)きで、規模は約3分の2、本殿とくらべ各所に省略箇所があり相違がある。桁行(けたゆき)118.3cm、梁間(はりま)106.3cm、向拝(ごはい)93.2cm。
21 玉依比売命神社児玉石(たまよりひめのみことじんじゃこだまいし) 県宝 ①不明 ②松代東条 ③玉依比売命神社 ④昭和44.10.2 玉依比売命神社は古くは池田の宮といわれた。児玉石は玉依比売命神社に寄進されて集まったもので、毎年正月7日早朝に玉改めの神事がおこなわれる。この神事の始源ははっきりしないが、明暦年間(1655~58)にすでに60個あまり、文化7年(1810)には634個、昭和43年(1968)には786個あった。このうち、指定は勾玉(まがたま)・管玉(くだたま)・切子(きりこ)玉・小玉など591個である。
22 木造伝子安荒神(こやすこうじん)坐像 重要文化財 ①16世紀 ②篠ノ井山布施村山三宝寺 ③蓮香寺(れんこうじ) ④大正4.3.26 犀川に臨む小集落村山の荒神堂に安置されている。像高55.1cm、檜(ひのき)材の寄木造(よせぎづく)り、彩色の女神像である。足を組んで座り、頭には頭巾(ずきん)のような冠を載き、彫眼(ちょうがん)はやや上目で、唇を少し開いて歯をのぞかせ、微笑を浮かべている。像内には天文(てんぶん)12年(1543)に村上義清(よしきよ)がつくって納めたとの銘がある。
(22写真提供 県立歴史館・県教委蔵)
23 松代城跡、附(つけたり)新御殿跡 国史跡 ①戦国~江戸時代 ②松代町松代 ③長野市ほか27人 ④昭和56.4.11 松代城は武田晴信(信玄(しんげん))が川中島合戦のとき築いた海津城に始まる。近世に入って歴代城主が増改築を重ねた。新御殿は文久2年(1862)参勤交代が廃止され、江戸から帰った藩主の義母のために、御用屋敷を増改築したものである。
24 真田家文書 県宝 ①16~19世紀 ②松代町真田宝物館 ③長野市 ④昭和47.4.27 真田家文書の家文書のなかで、主たる381点が県宝に指定された。上の文書はそのなかの一つ、慶長5年(1600)、関ヶ原の合戦に先だち、真田昌幸(まさゆき)の領地を真田信幸(のぶゆき)にあたえることを約束した徳川家康安堵(あんど)状である。 (24 25 26 27写真提供 市教委文化財課)
25 短刀 銘吉光(よしみつ) 県宝
①13世紀 ②松代町真田宝物館 ③長野市 ④平成3.2.14 真田家が徳川家康から拝領した短刀で、家宝として厳重に保管されていた。吉光は鎌倉時代中期の京の粟田口(あわたぐち)派の名工である。平造(ひらづく)り三ッ棟(むね)で、刀長24cm、茎(なかご)長11cm、重ねはやや厚め、板目肌(いためはだ)がよく練れている。
26 刀 無銘(三原の大刀) 県宝 ①14世紀 ②松代町真田宝物館 ③長野市 ④平成3.2.14 真田昌幸が朝鮮出陣の恩賞として豊臣秀吉から拝領したもの。刀長71.3cm、茎(なかご)長19.2cm。鎬(しのぎ)作りの庵(いおり)棟で鎬高く幅広い。備後(びんご)(広島県)の三原派によりつくられたもの。できばえがすぐれている。
27 大太刀(おおたち)(青江) 重要文化財 ①延文(えんぶん)6年(康安元年、1361) ②松代町真田宝物館 ③長野市 ④昭和36.2.7 南北朝期に流行した3尺余の大太刀で、持ち主だった真田源太左衛門信綱(げんたざえもんのぶつな)は長篠の戦いで弟昌輝(まさてる)とともに討死した。そのとき、この大太刀を振るって奮戦したという。長さ103.2cm。長大で、切先(きっさき)はよくのび、地もよく締まり、刃文(はもん)は逆足(さかあし)が見事に入る。銘に「備中(びっちゅう)國住人□□ 延文六年二月日」とある。備中青江派の名刀である。
28 大英寺本堂および表門、附(つけたり)板絵著色三十六歌仙図 県宝 ①寛永元年(1624) ②松代町松代 ③大英寺 ④昭和41.10.3 大英寺は真田信之が夫人大蓮院(だいれんいん)(小松姫)の菩提(ぼだい)を弔って建てた寺で、霊屋(たまや)とともに松代へ移した。明治5年(1872)に本堂焼失後、霊屋を本堂とした。方5間の入母屋造(いりもやづく)り平入(ひらい)り、向拝(ごはい)1間、桟瓦葺(さんがわらぶ)き。
(28 31 32写真提供 市教委文化財課)
29 真田信重霊屋(のぶしげたまや)、附前机1脚・釣灯籠(つりどうろう)2筒 重要文化財 ①慶安元年(1648) ②松代町西条 ③西楽寺 ④昭和46.6.22 真田信之の3男信重の霊屋。方3間の宝形(ほうぎょう)造り、向拝(ごはい)1間。平成12年(2000)に修復のさい、屋根を鉄板葺(てっぱんぶ)きから杮(こけら)葺きにした。
30 松代・藩主真田家墓所(ぼしょ) 国史跡 ①江戸時代 ②松代町松代 ③長国寺 ④昭和62.12.25 曹洞宗(そうとうしゅう)の名刹(めいさつ)長国寺は上田から移した真田家の菩提寺で、真田幸隆(ゆきたか)以下、同家歴代の墓がある。墓所は800m2。白土塀(しろどべい)に囲まれた霊域となっている。
31 真田信之霊屋(のぶゆきたまや)(宝殿(ほうでん)・表門) 重要文化財 ①万治(まんじ)3年(1660) ②松代町松代 ③長国寺(管理) ④昭和51.5.20 松代藩初代藩主真田信之の霊屋。長国寺裏側にあり、方3間、入母屋造(いりもやづく)り平入(ひらい)りで、向拝(ごはい)1間。正面に千鳥破風(ちどりはふ)、向拝に軒唐(のきから)破風をつける。周囲に縁を回し、屋根は杮葺(こけらぶ)き。木部はすべて漆塗りで極彩色(ごくさいしき)がほどこされ、彫刻も多く豪華なものである。
32 林正寺(りんしょうじ)本堂および表門 県宝 ①万治3年(1660) ②松代町清野 ③林正寺 ④昭和41.10.3 昭和27年(1952)に長国寺の真田信之霊屋(たまや)の右手にあった2代藩主真田信政霊屋を移築したもの。本堂は梁間(はりま)4間、桁行(けたゆき)3間の入母屋造(いりもやづく)り平入(ひらい)り、向拝(ごはい)1間。主屋(おもや)・向拝とも彫刻・組物を多く用い、外陣(げじん)・内陣には彩色をほどこして豪華である。
33 開善寺経蔵(きょうぞう)、附(つけたり)棟札1枚 県宝 ①万治3年(1660) ②松代町西条 ③開善寺 ④昭和41.10.3 開善寺は真田信之(のぶゆき)が白鳥(しろとり)神社とともに上田領から移した真田家祈願所。経蔵は方3間の主屋の四周に吹き放しの裳階(もこし)をつけ宝形造(ほうぎょうづく)り、茅葺(かやぶ)きの屋根に瓦製の露盤(ろばん)と宝珠(ほうじゅ)をのせる。内部中央に八角の輪蔵(りんぞう)を置く。主屋(おもや)・経蔵ともすぐれた作で、江戸前期の特徴をよく示している。
34 長国寺開山堂(かいざんどう) 県宝
①享保(きょうほう)12年(1727)ころ ②松代町松代 ③長国寺 ④昭和41.10.3 3代藩主真田幸道(ゆきみち)の霊屋(たまや)で、明治5年(1872)長国寺焼失後の再建にあたり、明治19年に今の位置に移築し開山堂とした。方3間の宝形造(ほうぎょうづく)り、屋根は桟瓦葺(さんがわらぶ)き、頂部に瓦製の露盤と宝珠をのせる。回縁と向拝(ごはい)は撤去されたが、内部はよく残っている。
35 真田信弘霊屋(たまや)および表門 県宝
①元文(げんぶん)2年(1737) ②松代町松代 ③真田幸俊 ④昭和41.10.3 4代藩主真田信弘(のぶひろ)の霊屋(たまや)で、長国寺の真田信之霊屋の南隣にある。方3間の宝形造り、杮葺(こけらぶ)きで、縁を回し、向拝(ごはい)1間が付く。装飾は信之霊屋にくらべると簡素で少なく、時代の相違を示している。
36 紙本墨書源氏物語事書(しほんぼくしょげんじものがたりことがき) 重要文化財 ①鎌倉時代 ②元善町 ③大勧進(だいかんじん) ④昭和9.1.30 天養2年(1145)に書写された維摩(ゆいま)経の紙背(しはい)に流麗な草書体仮名の散らし書きで書かれている。内容は源氏物語の由来、巻数、作者、あらすじなどの説明である。
37 銅造釈迦涅槃(しゃかねはん)像 重要文化財 ①13世紀後半 ②元善町 ③世尊院(せそんいん) ④明治39.4.14 世尊院の本尊で釈迦が入滅(にゅうめつ)(涅槃(ねはん))したときの姿をあらわしている。全長173.5cm。彫刻で等身大の涅槃像はきわめて珍しく、銅造ではこれが唯一である。
38 五鈷杵(ごこしょ) 重要美術品 ①14世紀 ②元善町 ③大勧進 ④昭和18.10.1 密教法具(みっきょうほうぐ)の金剛杵(こんごうしょ)の一つである。善光寺の境内から発掘されたと伝えられる。長さ15.6cm、青銅で鋳造し鍍金(ときん)をほどこす。中央鈷は角形、脇鈷はくちばし形に湾曲(わんきょく)している。(36 37 38写真提供 市教委文化財課)
39 絹本著色阿弥陀聖衆来迎図(けんぽんちゃくしょくあみだしょうじゅうらいごうず) 県宝 ①14世紀 ②元善町 ③大本願 ④平成7.9.21 縦172.5cm、横106.5cm。1枚絹に正面を向く阿弥陀如来と二十五菩薩および二人の持幡(じばん)菩薩を描く。県下で鎌倉時代にさかのぼる来迎図は貴重である。(39 40写真提供 県立歴史館・県教委蔵)
40 絹本著色釈迦(けんぽんちゃくしょくしゃか)三尊像 県宝
①14世紀 ②元善町 ③大勧進 ④平成7.9.21 縦95.0cm、横39.8cm。金色と緑色の多用は中世仏画の特色である。釈迦の台座の背もたれや文殊(もんじゅ)・普賢(ふげん)の足もとの敷物は珍しい。
41 善光寺造営図(ぞうえいず)(9図)享禄(きょうろく)四年四月 重要文化財 ①享禄4年(1531) ②元善町 ③大勧進 ④昭和63.6.6 本堂以外の付属建物の設計図で、善光寺大工遠江守(だいくとおとうみのかみ)の制作。縮尺は10分の1である。作図年代が明らかな設計図ではわが国の現存最古のものである。軸装で8図に分けられ、屋根伏図および扉図の9図からなっている。
42 金銅阿弥陀(こんどうあみだ)如来および両脇侍立像(りょうきょうじりゅうぞう)
重要文化財 ①鎌倉時代後期 ②元善町 ③善光寺 ④明治39.4.14 一般に前立(まえだち)善光寺阿弥陀如来と称する。像高は阿弥陀如来像が42.4cm、左脇侍観音菩薩像が30.5cm、右勢至菩薩像が30.2cm。3像とも銅造鍍金(ときん)で善光寺開帳には本堂瑠璃壇(るりだん)に安置される。
(42 43 45 46 47 48写真提供 善光寺事務局)
43 善光寺本堂、附厨子(ずし)1基
国宝 ①宝永4年(1707) ②元善町 ③善光寺 ④昭和28.3.31 本堂は日本回国開帳(かいこくかいちょう)の勧化金(かんげきん)により落成した。梁間(はりま)23.7m、桁行(けたゆき)52.8m、高さ27.0mと規模が大きく、竪棟(たてむね)と横棟からなる撞木造(しゅもくづく)りの様式は大きな建築ではほかに例がない。厨子は善光(よしみつ)夫妻と子息善佐(よしすけ)の像を安置、本堂正面の三卿の間(さんきょうのま)にある。
44 善光寺正月行事堂童子(どうどうじ)
選択無形文化財 ①不明 ②元善町 ③善光寺堂童子 ④昭和29.11. 善光寺の正月行事は12月から正月じゅうつづく。この中心となるのが堂童子で三寺中(じちゅう)のうち中衆(なかしゅう)(浄土宗)が勤める。
(41 44写真提供 市教委文化財課)
御越年式(ごえつねんしき)(四門を固める堂童子)
45 銅鐘 重要美術品
①寛文(かんぶん)7年(1667) ②元善町 ③善光寺 ④昭和18.10.1 善光寺鐘楼の梵鐘(ぼんしょう)で、高さ180cm、竜頭(りゅうず)45cm、口径116.0cm。願主高橋白蓮(びゃくれん)ら5人、鋳物師(いもじ)伊藤文兵衛。中山道・北国街道筋など多数の信者の浄財でできあがった。
46 銅造地蔵菩薩(じぞうぼさつ)坐像 重要美術品 ①享保(きょうほう)7年(1722) ②元善町 ③善光寺 ④昭和20.8.3 露座(ろざ)の地蔵菩薩。像高268cm、蓮華座(れんげざ)の高さ91cm、石台座の高さ179cm。享保7年に普光寺(ふこうじ)村(三水村)の僧法誉円信(ほうよえんしん)が日本回国六十六部供養(くよう)を終えた記念に奉納した。江戸の仏師・鋳物師(いもじ)の制作で、江戸時代としては鋳造技術がすぐれている。もとは覆屋(おおいや)があったが、現在地に移転後、「ぬれ仏」になった。
47 善光寺三門(山門)(さんもん) 重要文化財 ①寛延3年(1750) ②元善町 ③善光寺 ④昭和40.5.29 5間(けん)に3戸(こ)の二重門である。屋根は入母屋造(いりもやづく)り、檜皮葺(ひわだぶ)き。東西30m、南北13m、高さ20m。巨大な本堂にふさわしい大建築の門である。
48 善光寺経蔵(きょうぞう) 重要文化財 ①宝暦9年(1759) ②元善町 ③善光寺 ④昭和40.5.29 8.5m四方の切石積み基壇にのる方5間の宝形造(ほうぎょうづく)りの建造物。高さ11m、11.8m四方。内部は石敷きで中央に八角の輪蔵(りんぞう)を置く。屋根は檜皮葺(ひわだぶ)きで、露盤をのせ宝珠(ほうじゅ)を立てる。
49 佐久間象山宅跡 県史跡 ①江戸時代後期 ②松代町松代 ③長野市 ④昭和35.2.11 佐久間象山(1811~64)の屋敷跡。1,091m2の屋敷跡には、古井戸が残るばかりだが、当時は住宅のほか、藩主真田幸貫(ゆきつら)の休憩所、父一学(いちがく)の槍術(そうじゅつ)剣術道場、学問所などがあった。
50 旧横田家住宅主屋(おもや)・表門・隠居(いんきょ)屋・土蔵2棟 重要文化財 ①江戸時代後期 ②松代町松代 ③長野市 ④昭和61.1.22 横田家は禄高(ろくだか)150石の松代藩中級藩士で、郡奉行(こおりぶぎょう)などを務めた。茅葺(かやぶ)き寄棟造(よせむねづく)りの主屋をはじめ付属の建物が多く残り、武家屋敷の代表的遺構である。
51 旧文武(ぶんぶ)学校 国史跡 ①嘉永6年(1853) ②松代町松代 ③長野市 ④昭和28.3.31 9代藩主真田幸教(ゆきのり)によって完成された。敷地面積3,089m2、建物面積1,505m2。剣術所・柔術所・弓術所・文学所・教室2棟・文庫蔵その他、当時の姿がよく残されている。
52 旧長野県師範学校教師館 県宝 ①明治8年(1875)②芋井上ヶ屋(あげや) ③北野建設株式会社 ④昭和46.12.20 明治8年に旭町(現市立図書館の場所)に建てられた。昭和46年に現在地へ移築された。明治初期擬洋風(ぎようふう)建築の師範学校建造物が残っているのはこれが唯一である。
53 旧ダニエル・ノルマン邸
県宝 ①明治37年(1904)②芋井上ヶ屋 ③北野建設株式会社 ④昭和46.12.20 カナダ・メソジスト派の宣教師ノルマンが石堂町の棟梁(とうりょう)内田繁蔵に指示して県町に建てた木造2階建て住宅。昭和46年現在地に移築。外国人住宅は神戸・長崎などのほかには少なく、明治期の木造洋風の牧師館として貴重である。
(52 53写真提供 市教委文化財課)
54 木造聖観音菩薩立像(しょうかんのんぼさつりゅうぞう) 重要文化財 ①12世紀前半 ②七二会瀬脇(せわき) ③瀬脇観世音保存会 ④大正3.8.25 像高162.1cm。明治30年(1897)の火災によって本尊と堂宇を焼失したあと再興した忠恩寺(ちゅうおんじ)に、奈良県渋谷(天理市)から大阪府の豊川寺(とよかわでら)をへて迎えられた。檜(ひのき)材の寄木造(よせぎづく)り。平安時代末期南都系造像の典型といえる。
55 木造薬師観音坐像 重要文化財
①10世紀 ②若穂保科 ③清水寺(せいすいじ) ④大正12.8.4 大正5年(1916)、保科の大火で寺が類焼したあと、奈良県桜井市の石位寺(いしいでら)から7体の仏像が迎えられた(55 56 57 58 59の仏像)。この薬師観音坐像は、桜材の一木造(いちぼくづく)りで、堂々とした像容(ぞうよう)である。像高84.5cm。造像法はつぎの千手観音と同じく平安初期の古様をとどめるが、後期の穏やかなものへ移行しつつある作風である。
(54 55 56 57 58 59写真提供 県立歴史館・県教委蔵)
56 木造千手観音(せんじゅかんのん)および脇侍(きょうじ)地蔵菩薩像 重要文化財 ①10世紀後半と12世紀前半 ②若穂保科 ③清水寺 ④大正12.8.4 千手観音の像高は138.5cm、桜材の一木造りに欅(けやき)材で矧(は)ぎ付けてある。平安初期の作風をとどめるが彫りは浅い。地蔵菩薩は像高159.1cm、檜(ひのき)材の寄木造(よせぎづく)りに矧(は)ぎ付けてある。
57 木造聖観音菩薩立像 重要文化財
①12世紀 ②若穂保科 ③清水寺 ④大正12.8.4 像高169.1cm、檜(ひのき)材の一木造りに矧(は)ぎ付けをほどこす。動きのある姿体は軽快で、顔や裳(も)も美しい。
58 木造阿弥陀如来立像 重要文化財
①12世紀 ②若穂保科 ③清水寺 ④大正12.8.4 像高160.9cm、檜(ひのき)材の寄木造り、漆箔(しっぱく)。平安時代末期の穏和な和様彫刻の特徴を顕著に示す優美で繊細な作風である。
59 木造広目天(こうもくてん)立像・多聞天(たもんてん)立像 重要文化財 ①12世紀前半 ②若穂保科 ③清水寺(せいすいじ) ④昭和12.8.25 広目天像(153.3cm)は檜(ひのき)材の割矧造(わりはぎづく)り、多聞天像(151.5cm)は桜らしい材の寄木造(よせぎづく)り。両像とも忿怒(ふんぬ)はかなり抑えられ、動勢も控えめで、平安時代末の作風を示している。
60 紙本墨書和漢朗詠集上巻断簡(しほんぼくしょわかんろうえいしゅうじょうかんだんかん)(伊豫切(いよきり))(十五夜) 重要美術品 ①平安時代 ②若穂綿内 ③北野美術館 ④昭和11.9.12 書(しょ)の三蹟(さんせき)(小野道風(おののみちかぜ)、藤原佐理(ふじわらすけまさ)、藤原行成(ゆきなり))の1人である藤原行成の筆。作風は静かでさりげないが、端正な字形、温和な点画、引き締まった描線は当時の貴族に愛好され、尊重され広く流行した(60 62写真提供 北野美術館)
61 紙本金地著色四条歌舞伎祇園社頭図(しほんきんじちゃくしょくしじょうかぶきぎおんしゃとうず) 重要美術品 ①江戸時代 ②古牧西尾張部 ③塚田俊之 ④昭和23.4.27 縦61.8cm、横214.8cmの小型の六曲屏風(ろっきょくびょうぶ)一双(そう)に描かれた屏風絵。筆者は不明だが、京都狩野派流の作と思われる。当時の美術、風俗など知りうる史料的価値がある。 (61写真提供 市教委文化財課)
62 中寿老左右鴛鴦図(なかじゅろうさゆうおしどりず) 円山応挙(まるやまおうきょ)筆 重要美術品 ①江戸時代末 ②若穂綿内 ③北野美術館 ④昭和10.12.13 円山応挙(まるやまおうきょ)は西洋の写生法と明清(みんしん)画の写実様式を研究して独特の描画法を会得し、日本画の円山派の新様式を開拓した。円山四条派は近世日本画の一大潮流になる。
63 短刀 県宝 ①弘化4年(1847) ②安茂里小市 ③塚田佐 ④昭和52.11.17 山浦正雄の弟、山浦清麿(きよまろ)の作である。刃長28.0cm、元身幅2.95cm。刀身の40%が鋒(きっさき)で特異な造りである。鍛えも板目(いため)もよくつみ地沸(じにえ)つき、刃文(はもん)は互(ぐ)の目乱(のめみだ)れに金筋に砂流しがかかりみごとである。
64 短刀 県宝 ①嘉永3年(1850) ②箱清水 ③信濃美術館④昭和41.2.24 銘に「正雄」とあり山浦正雄(真雄)47歳円熟期の作品である。包丁型短刀で長さ24.8cm、元幅3.3cm。刃文は大互(おおぐ)の目乱れで、刃中に砂流しがかかり金筋が走っている。地鉄は冴(さ)え、大板目が美しい。 (63 64写真提供 市教委文化財課)
65 素桜(すざくら)神社の神代(じんだい)ザクラ 国天然記念物 ①不明 ②芋井泉平 ③素桜神社 ④昭和10.12.24 推定樹齢約1,200年。根回り約9m、目通り11.3m、幹の下方から3本に分かれている。一時衰えをみせたが、平成4年(1992)樹木医によって治療がおこなわれ、よみがえった。
66 大柳(おおやなぎ)および井上の枕状溶岩(まくらじょうようがん)
県天然記念物 ①第3紀中新世(約2,000万年前) ②若穂綿内 ③伊藤文夫 ④平成4.2.20 約2,000万年前ころの海底火山噴出による枕状溶岩(玄武岩(げんぶがん))があらわれている。長野盆地の生い立ちを示す貴重なもの。
67 象山(ぞうざん)のカシワ 県天然記念物 ①推定樹齢約400年 ②松代町西条 ③長野市 ④昭和43.3.21 象山の南東斜面にあるカシワ。高さ12.5m、周囲4.3mの名木である。千曲市柏王(かしお)のカシワにつぐ大木である。
68 真島のクワ 県天然記念物 ①推定樹齢約270年 ②真島町真島 ③中沢源嘉 ④昭和37.9.27 4代前の中沢源八が植えたクワ。高さ約8m、根回り3.8m。県下で2番目のクワの大木である。
69 塚本のビャクシン 県天然記念物 ①不明 ②若穂川田 ③北島正隆 ④昭和48.9.13 高さ約25m、幹の周囲4.5mで、ビャクシンとしてまれに見る巨木で樹勢も樹姿もよい。
70 高岡の小豆(あずき)焼き行事 選択無形民俗文化財 ①不明 ②若穂保科 ③若穂保科高岡区 ④平成8.11.28 毎年1月15日の道祖神祭のあと、若い衆が公民館に集まりいろりの炭火にカワラケをのせて焼きこみ、そのなかに小豆を一粒入れて、小豆の回り方によりその年の作などを占う。
(70写真提供 市教委文化財課)
71 長谷(はせ)および越のドンドヤキ 県無形民俗文化財 ①不明 ②篠ノ井塩崎 ③長谷第3、越1・2・3・4常会 ④平成7.2.16 篠ノ井塩崎、長谷地区の平・越地区の越・東谷では1月のドンドヤキの日、それぞれオンマラサマ、オスガタ、カンタサンという人形を作り、ドンドヤキに燃やす。
72 三原屋商店 登録有形文化財 ①明治5年(1872)~10年 ②桜枝町 ③株式会社三原屋 ④平成15.4.8 明治初期に米穀商のかたわら醤油(しょうゆ)醸造業を営んだ店舗と土蔵5棟、老舗(しにせ)の豪壮な屋敷構えである。善光寺界隈(かいわい)の町家(まちや)の姿を今に伝える。現在も味噌醤油、関連加工食品の製造販売をおこなっている。
73 利休(りきゅう)堂酒井家住宅 登録有形文化財 ①明治20年(1887)ころ ②芹田川合新田 ③(有)利休堂 ④平成13.12.4 江戸時代に川合新田を開発し、のち3代にわたり医者を開業した旧北村家住宅。規模の大きな切妻造(きりづまづく)り、桟瓦葺(さんかわらぶ)きの建物である。一般の民家とは異なり、寺院の座敷の風格を感じさせる。
74 北村家住宅
登録有形文化財 ①明治時代中期 ②若穂川田 ③北村信彦 ④平成16.3.29 旧川田宿本陣西澤家の向かいがわにある。木造2階建て建築。主屋(明治20年)、門、旧局舎からなる。明治期の宿場の景観を伝えている(写真は門、旧局舎、その奧に主屋)。
75 小林家住宅
登録有形文化財 ①明治時代 ②稲里町田牧 ③(有)ウディハウス・川中島 ④平成11.9.7 主屋は明治37年(1904)、北蔵・正門が明治初期、燻蒸蔵(くんじょうぐら)が明治期の建築で、この4棟が登録。道路に面して正門と燻蒸蔵があり、そのうしろに2階建ての主屋、その北に北蔵という重厚な構えの住宅である。
76 藤屋旅館 登録有形文化財 ①大正13年(1924) ②大門町 ③藤井奎子 ④平成9.6.24 江戸時代北国街道善光寺宿(じゅく)の本陣(ほんじん)の歴史をもつ藤屋旅館は、大正末期の中央通り拡幅時に新築された。外観は鉄網(てつもう)コンクリートにタイル張りの洋風建築で、内部は木造という構造をもっている。
77 中澤時計店本店 登録有形文化財
①大門町 ②大正13年(1924) ③中澤とみい ④平成15.2.26 明治10年(1877)創業、中央通り拡幅時の大正13年に建て替えられた。外壁は鉄網コンクリートの洗い出し仕上げで、窓の形にも特徴があり、大正期の最先端の洋式建築を取り入れようとした意気込みを感じさせる。
78 金鵄(きんし)会館 登録有形文化財 ①昭和14年(1939) ②上松 ③社団法人金鵄会 ④平成15.4.8 県立長野中学校として建設。木造2階建て校舎でモルタル仕上げ。中央正面は宝形(ほうぎょう)屋根の塔屋(とうおく)で、前面タイル張り。左右対称に校舎が伸びている。全体としては洋風だが、軒先付近の反りなど和風の趣も感じさせる。デザインの優れている点が評価された。