篠ノ井駅から北長野駅にかけての車窓から盆地の西縁部をのぞむと、どこからも盆地の縁を構成する斜面に白い崖(がけ)が断続的につづくのに気づく。この白い崖は、この山地を構成する第三紀層の裾花凝灰岩層(すそばなぎょうかいがんそう)の崖である。この凝灰岩層は、今から七〇〇~八〇〇万年前に海底に噴出した流紋岩(りゅうもんがん)質の火山噴出物からなり、白色の鉱物や岩石から構成され崩れやすい場所が崖となっている。長野盆地の西縁部では、この裾花凝灰岩層から構成される急傾斜の斜面からなる山地と盆地の平坦地との境界がどこでもきわめて明瞭で、この境界部は直線的に連続する。三登山南麓(みとやまなんろく)、地附山東麓(じづきやまとうろく)、西河原(安茂里(あもり))から小市(こいち)(安茂里)、小松原(篠ノ井)から岡田(篠ノ井)にかけてなどの地域では、いずれも明瞭な境界線を引くことができる。
また、三登山南麓、地附山東麓・往生地(おうじょうじ)の南東、旭山南東麓などの斜面には、階段状を示す地形が見られる。階段状地形の段と段との境には、直線的な急斜面や急崖が連続している。これらの急斜面や急崖の直下には断層(だんそう)が存在し、この断層の方向は崖の連続方向や段差の境界部の方向と一致し、全体的には盆地西縁部の方向と一致する。このような断層は並行して複数存在していることが多く、複数の段をつくっている。盆地西縁部に並行する断層は、これに直交する方向の断層によって切られ、少しずつ位置がずらされている。西縁部の断層は山地基盤を構成する第三紀層を切るだけでなく、盆地の縁に分布する第四紀層の扇状地礫層や段丘礫層をも変位させている。このことからもこれらの断層は明らかに活断層(かつだんそう)で、盆地の西縁部の地形形成にかかわった断層である。
盆地西部の山地は第三紀や第四紀の地層から構成されている。この山地から流れでる駒沢川・浅川・裾花川・犀川・聖川は、いずれも盆地に近い谷の出口に深い峡谷(きょうこく)をつくっている。また、西縁部山地の尾根に注目すると、三登山・地附山・富士ノ塔山・茶臼(ちゃうす)山などにおける山頂部付近の尾根は、盆地の縁と同じ方向にのびている。これにたいして河川は直交する方向に流れている。この盆地の縁と同じ方向にのびる尾根は、標高七〇〇~九〇〇メートルの比較的平坦な尾根を形成している。この尾根にあたる地附山やブランド薬師の山頂付近には、チャートや粘板岩(ねんばんがん)など北アルプス起源の古期岩類をふくむ河川性の砂礫層が、基盤の裾花凝灰岩層を不整合(ふせいごう)に覆(おお)って分布している。富士ノ塔山北西の山頂部には、飯縄(いいずな)火山起源の安山岩巨礫(きょれき)をふくむ土石流堆積物が分布する。これらの堆積物は、いずれも長野盆地や裾花川の谷が形成される以前に運ばれ堆積したものである。これらの堆積物が堆積した地形面は、盆地西部から犀川・土尻(どじり)川流域に連続し、松本盆地の東部山地へと連続する一連の古い時代の地形面で大峰面(おおみねめん)とよばれる浸食平坦面である。
長野盆地付近における活断層の分布は盆地西縁部に集中し、これら多くの断層は山地がわが上がり、盆地がわが下がる高角度の逆断層(ぎゃくだんそう)である。この活断層の分布状況や断層の性格からみて、盆地西縁部の地形はこの断層の動きによって形成された地形である。活断層それぞれの変位量は異(こと)なるが、権堂町におけるボーリングによって長野盆地初期の地層は現在の盆地地下の海面下四〇〇メートル付近に分布すると推定されること、西部山地における盆地形成前の大峰面が標高九〇〇~一〇〇〇メートルに分布することから、盆地の西縁部ではこれまで盆地形成にかかわって一四〇〇メートル前後の地盤変動があったことがわかる。また、盆地の形成が始まるころの大峰面の標高を仮に〇メートルとすると、山地がわは一〇〇〇メートル隆起(りゅうき)し、盆地がわは四〇〇メートル沈降(ちんこう)したことになる。盆地形成初期の時代を五〇万年前とすれば、平均的な値(あたい)として山地がわは年二ミリメートルの隆起ということになる。盆地西がわの権堂町での堆積を約八〇〇メートルとすると、年平均一・六ミリメートルの堆積速度となる。しかし、大地の動きは連続的ではない。
弘化四年(一八四七)に発生した善光寺地震(マグニチュード七・四)は、盆地西縁部の活断層が動き発生した大規模な内陸直下型地震である。この地震によって西縁部の山地では、一~二メートルの隆起が生じた。また、善光寺地震クラスの地震が長野盆地でどのくらいの間隔で生じたのかを研究した粟田ほか(一九九〇)の報告によれば、平均九五〇年に一度くらいの間隔で発生しているという。長野盆地西縁部の活断層がある間隔で活動し、その変位が積み重なり現在の地形が形成されてきたことはたしかである。このような断層運動は現在もつづいている。
長野盆地西縁部の大きな河川は、山地ができる以前から大峰面の上を流れていた河川であり、周りの地盤が隆起すると同時に谷を形成していった先行川(せんこうがわ)とよばれる種類の河川である。このため盆地寄りにもかかわらず、急な斜面と深い谷を持つ渓谷をつくりだした。長野盆地の北西にそびえる飯縄火山は、浸食のすすんだ複式成層火山で長野市のなかでもっとも高い山である。第三系からなる西部山地が隆起しだした時期に火山活動を開始した。