飲料水の水源確保

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上水道が整備されるまでは、清水や井戸水が人びとの飲料水となっていた。ところが北部地域を中心に井戸の深さは、平均一二メートルほどで湧出(ゆうしゅつ)量も少なく、冬から初夏にかけてはまったく涸(か)れ果ててしまう井戸さえあったといわれる。長野町の四分の一の世帯は八幡(はちまん)川(堰(せぎ))の伏流水を、桜枝町やほかの街の北部などでは湧出する清水を汲んで飲料水としていた。しかし、水質が悪く、赤痢(せきり)や腸チフスなどの伝染病の発生を招いたため、水道敷設の要望が高まった。こうして長野市の水道は戸隠からの水道の完成により大正四年(一九一五)給水が開始された。当時の給水人口は一万三〇〇〇人ほどだったが、その後町村合併により給水人口が急増し、七回にわたる拡張工事がすすめられ、今日では長野市三六万人の人びとへ水道水が供給されるようになった。

 現在、上水道の水源は一八ヵ所確保され、一一ヵ所の浄水場と多くの給水池が設置され、市上水道の平均配水量は県営水道をふくめて、一日約一三万立方メートルに達しており、各家庭に一人一日あたり約三六〇リットルの水道水が供給されている。

 昭和二十四年(一九四九)、裾花(すそばな)川の氾濫(はんらん)で大きな被害をうけた長野市は、裾花ダムの建設を計画した。当初は治水のみを目的としたが、水道水源の八〇パーセントを犀(さい)川に頼っていた長野市は、給水人口の増加にともなう水源確保のため、市の大きな「水がめ」の必要性を痛感して目的をあらため、裾花ダムは昭和四十四年治水・利水の多目的ダムとして完成した。昭和四年に建設された夏目ケ原(なつめがはら)浄水場は、当初は犀川水系の伏流水を水源としていたが、第四期と第五期拡張事業により、裾花川の湯之瀬ダムから安茂里(あもり)の夏目ケ原浄水場まで旭山の中腹をつらぬく約四キロメートルにおよぶ隧道(ずいどう)工事が昭和五十七年(一九八二)に完成して配水量は急増した。

 現在、犀川北の長野地区では、犀川・裾花川・野尻湖などの表流水や伏流水をはじめ戸隠貯水池を水源とし、松代地区は、千曲川の表流水や地域内の地下水・湧水などを、若穂地区では、地域内の地下水・湧水などを水源としている。