西部山地の溜池の利用

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飯縄山麓(いいずなさんろく)一帯のゆるやかな起伏が広がる飯綱高原には、標高九〇〇~一〇〇〇メートルの地域に大座法師(だいざほうし)池をはじめ大池・猫又(ねこまた)池・蓑ケ谷(みのがや)池・下蓑ケ谷池・上蓑ケ谷池などの溜池(ためいけ)が点在している。これらの池は浅川扇状地の水田地帯が拡大されるにつれて重要視され、火山灰土層の浅い沼地だった窪地(くぼち)を広げ、堰堤(えんてい)を築き灌漑(かんがい)用の溜池として築造されたものである。しかし、市街地の発展にともない農地の宅地化がすすみ、耕地面積が減少するにつれて灌流用の溜池としての機能も半減してきている。とくに大座法師池は観光開発により周辺にはキャンプ場ができ、市民憩いの場となってきており、灌漑用の池と同時に観光用の池としての要素をもつようになった。

 いっぽう、市街地南西部の標高六〇〇メートル以上の信更(しんこう)町や旧信里(のぶさと)地区にも農業用の溜池がたくさん散在している。有旅(うたび)大池・小山田池・鹿ノ入(かのいり)池・涌(わく)池・嫁(よめ)池など大小あわせて数十もの溜池が存在する。これらの地域では、湧水(ゆうすい)が少なく融雪水や雨水を溜池に貯え、灌漑用水として利用している。これらの溜池は、第三紀にできた泥岩質層中に存在しており、土壌の保水力の果たす役割が大きい。

 涌池は、はじめからの人工の溜池ではなく、もとは弘化四年(一八四七)の善光寺地震によって自然にできた池である。震災後松代藩が護岸工事をほどこし、堰堤を設けて池の水位を高め、貯水量を増加させて下流の稲田を灌漑するとともに住民の飲料水として使用できるよう復興につとめた。この涌池は、現在山ふところに抱(いだ)かれて静まりかえっているなんの変哲もない農業用の溜池であるが、特殊な水質をもつために湖沼学者のあいだでは古くから研究対象となってきた学術的に価値の高い池でもある。


写真7 「水変わり」現象(硫化水素の発生)で知られる涌池