消えた草原と草花

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むかしは飯綱原へ盆花(ぼんばな)や地梨(じなし)をとりにいったものだと、年寄りの人たちはよく話題にする。腹薬にはセンブリが効(き)くと、これも広い飯綱原のかや(茅)場で採集できた。子どもたちは、近くの土手からとってきたオキナグサを、稚児稚児花(ちごちごばな)だといってままごと遊びに使っていた。こんな身近な草花が、どうしたことか最近はだんだんと見られなくなってきた。なかにはすっかり消えてしまって、まぼろしの花となった植物もある。

 地梨は高い木になるナシではなく、地ぎわにつくクサボケの実のことである。日あたりのよい土手などの草地に生え、高さ二〇~三〇センチメートルで四月ごろから赤い花が咲く。実の直径は二~三センチメートルの小形で黄色く熟すが、酸味が強くてなまでは食べられない。果実酒にすると、疲労回復に効き滋養強壮剤(じようきょうそうざい)だと好まれた。乾燥させて煎(せん)じると、利尿作用があり脚気(かっけ)、むくみにもよいという。漢方では和木瓜(わもっか)という生薬(しょうやく)名がついて人気があったが、いまは忘れ去られている。

 オキナグサは花のあと、実についた毛が白くなるので、翁(おきな)の白髪(しらが)に見立てて名がついた。子どもたちはこの毛をなめては、人形の髪をなでるように遊んでいた。もう、野生の花を見ることはほとんどできない。わずかに、山地の草原や牧場に生き残っているだけである。

 千回煮だしてもまだ苦(にが)いと名がついたセンブリは、食欲不振や消化不良、煎(せん)じて洗眼液としてもよく知られた薬用植物だった。日のあたる草地に生え、とくに林道や山道のわきなど、他の草があまり生育しないやせ地を好んで生えていた。いまでは、探しだすのがむずかしいほど少なくなった。

 アズマギクも減少してきた植物だが、ムラサキやナンバンギセルはまったく見あたらない。ムラサキは根に紫の色素をもって古くから染料に使われた。万葉集にも多く歌われたほど、紫は貴重な色である。漢方では紫根(しこん)といって解熱剤(げねつざい)や解毒剤(げどくざい)、また火傷(やけど)や凍傷(とうしょう)、湿疹(しっしん)などの塗り薬にも多用されてきた。また、開花したようすが南蛮(なんばん)の煙管(きせる)(西洋のパイプ)のようだと名がつくナンバンギセルは、主にススキの根から養分を得る寄生植物である。

 このように、多くの絶滅危惧種(ぜつめつきぐしゅ)はどれも草原に生育していた植物たちである。草原にはいろいろなタイプがあって、ここでいう草地とは、もとは森林で覆われていた土地を、刈り取りや野焼き(火入れ)、あるいは家畜の放牧などのように人が手を入れ、管理してつくりだした二次草原である。この代表はかや場のススキ草原で、屋根を葺(ふ)いたり、家畜の飼料や堆肥(たいひ)づくりに重要な役割を果たしてきた。年に一回、晩秋に刈りとることで持続していた。すぐ伸びてくるクズやフジ、アケビなどのつるとやぶを刈りはらい、ときには、野焼きで森林へ移り変わることを防いでいた。しかし、現在ではこんな役目もなくなって、カラマツやスギが植林され、放置したところでは雑木がはびこり、飯綱原は開墾地や別荘地、スキー場にもなっている。


写真11 かや場のおもかげ ススキを刈りとるかや場は消えたが、おもかげはスキー場の草地にわずかに残っている

 いっぽう、田畑の土手や堤防には、シバやチガヤなどの草原がある。家畜を放せば背の低いシバ原となり、飼料や緑肥(りょくひ)に年二、三回だけ刈りとると柔らかな草が生い茂る。こんな作業はむかしのことで、耕地整理や堤防の改修がされるたびに外国産の牧草の種が吹きつけられている。

 定期的に刈りとるだけでなく、野火の作用が大きいことが最近の研究でわかってきた。害虫を殺してしまううえに、地温の上昇が植物の発芽を促進していたのであった。このように、二次草原の管理形態が変化した結果、草原の消滅はそこを生育地とする植物たちもほろぼしてきたのである。