長野市の平坦部(へいたんぶ)や山間地には、水田への灌漑(かんがい)を目的にした溜池(ためいけ)やそれにともなう小さな河川がきわめてたくさんある。また、飯綱高原には大座法師池(だいざほうしいけ)などの湖沼がある。これらの溜池や湖沼、河川には水中に生きる生きものがきわめて多く、長野市の水中生物の特徴をよくあらわしていた。たとえば、これら水中、とくに河川の石の下などには、魚の餌(えさ)ともなるカワゲラやトビゲラやトンボ類の幼虫がいるし、湖沼や溜池などにはタニシ類に始まって、メダカやキンブナ・ギンブナなどのフナ類やコイ類、ドジョウやウナギまでいて、多くの生きものたちが「食うもの」と「食われるもの」という関係で、密接なつながりをもち、ひとつの生態系というものをつくりあげていた。このようなさまざまな生きものがいる裏には地域の人びとの、これら河川や、湖沼、溜池にたいする、四季を通しての愛情あふれる管理作業があった。
草が茂りすぎると、地域の人びとが総出で草刈り作業をしたり、溜池などでは池のなかに入って水草刈りや泥上げ作業をしたり、水量の調節管理作業もなされていた。その結果として、多くの生きものが棲(す)む豊かな水のなかの自然が保たれていたのである。
しかし、昭和三十年代の中ごろから始まった工業化にともなう人手不足と、自然への理解不足から、外国産の草食魚や肉食魚を移入、放流してしまった。そのため、これらの魚類を放流された水中では、生物相が一変してしまった。
農山村に人手が少なくなり、溜池の草刈りができないことで考えられたのが、水草を食う魚であるソウギョを放すことであった。ソウギョは、もともとアジア大陸東部の池や河川に棲む大型魚で、水中に生育する草類を大量に食う習性をもっている。
放たれたソウギョはねらいどおり池のなかに生育しているフサモから、オオカナダモ、ジュンサイからアサザ、ヒルムシロ、コオホネなどすべて食べつくし、岸辺に群生しているマコモやヨシまで食べつくしてしまった。ソウギョは、体長一メートル余にも成長し、池は水草がなくみたところきれいになった。
水草はもともと池に生息していたメダカやフナ類やカエル類の産卵する場所であり、孵化(ふか)したばかりの幼魚やオタマジャクシの逃げ込み場所でもあった。そればかりか水中に生息するミズスマシ、ゲンゴロウ、ミズカマキリ、タガメ、トンボの幼虫(ヤゴ)といった水生昆虫類が餌をとったり卵を産(う)んだりする大切な生きる場所でもあった。
水草がなくなれば、当然のごとく、これらの生きものもいなくなってしまう。そこに、もともとわが国にいなかった外国産の肉食魚であるオオクチバス(ブラックバス)やブルーギルが、釣り人の「引きの強さがすごい」という目的で、関係者により釣り人が集まる県内の釣り堀や湖沼や池に無断で放流されていった。
肉食魚であるから、放流されたこれらの魚は、メダカやフナから始まって、ナマズ、ドジョウ、ミズカマキリ、ゲンゴロウやトンボの幼虫(ヤゴ)から、産みつけられたカエルの卵やオタマジャクシまで、食えるものはすべて食いつくしてしまっている。しかもこれらの肉食魚は川底や池底に産卵し、繁殖することも知られている。