飛び道具の発明

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気候が後氷期に向かってしだいに温暖化していくことによって森林が発達し、これに対応するかのように宮の入(みやのいり)遺跡(松代町大室)で発見された神子柴(みこしば)型石斧(せきふ)と尖頭器(せんとうき)(写真21)が登場してくる。これらの石器群もシベリアからサハリンを経由して日本列島に南下してきたもので、刃先を部分的に磨いた断面D字形の局部磨製石斧と、大型で精巧に加工された槍先形(やりさきがた)尖頭器が特徴である。


写真21 神子柴遺跡(上伊那郡南箕輪村)出土の石器 (林美由紀蔵)

 神子柴型石斧が川後(かわご)遺跡(小田切)や猪平(いのたいら)遺跡(篠ノ井塩崎)で、神子柴型尖頭器が上和沢(かみわざわ)遺跡(信更)、見山砦(みやまとりで)遺跡(篠ノ井塩崎)からは掻器(そうき)とともに発掘され、やがて、神子柴型尖頭器がさらに小型化し、木製の柄(え)につきやすいように茎(なかご)をつくりだした有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき)(有茎(ゆうけい)尖頭器)が出現する。この石器は柄をつけて投げ槍や銛(もり)として使用され、さらに小型化すると縄文時代にさかんに使用されたやじり(石鏃(せきぞく))となり、石鏃が増加していくなかで、有舌尖頭器は姿を消していく。

 この石器も東シベリアやサハリンでも発見され、その形態は東北日本に分布する細身の立川(たちかわ)型と西日本に分布する柳又(やなぎまた)型に分かれ、小山平遺跡(若穂保科高岡)や平柴台(ひらしばだい)遺跡(安茂里)で発見された有舌尖頭器は立川型である。