平成十二年(二〇〇〇)十一月五日の毎日新聞は一面の大半を使って「旧石器発掘ねつ造」の大スクープを伝えた。それまで「石器の神様」、「ゴッドハンド」とよばれていた東北旧石器文化研究所の藤村新一副理事長が、宮城県上高森(かみたかもり)遺跡でみずから石器を埋めている三枚の連続写真とともに、その「歴史的事実」を報道したのである。
文化庁は翌十一月六日に「ねつ造はまことに遺憾だ」という長官コメントを発表するとともに、同研究所がかかわった遺跡の再調査を決めた。以後新聞、テレビ、週刊誌などにも連日取り上げられ、国民的関心事となった。
とくに、藤村氏がかかわった宮城県上高森遺跡(市誌②三三ページにも記載されているが、正誤表で削除)は一〇種類の教科書に掲載されていて、それが取り消されるという社会問題へと発展していったのである。
教科書にまで取り上げられていた旧石器遺跡の発掘が、一個人の手で一九九五年から二〇〇〇年までに三一件にものぼっていたのである。その間ねつ造が繰りかえされ、まわりにいた研究者もその事実を見抜けず、ねつ造された資料は文化庁主催の「日本列島発掘展」で全国を巡回展示され、国がお墨付きをあたえ、報道関係もそれを大々的に報道していたのである。
日本考古学協会は「前・中期旧石器問題調査研究特別委員会」を発足させて、この問題を究明し、平成十四年五月二十六日の第六八回総会において、学会として藤村氏がかかわった遺跡すべてをねつ造と結論づけたのである。