縄文時代の最後の時期である晩期になると、東北地方に中心がある亀ケ岡(かめがおか)文化の影響が強くなり、土器は工字文(こうじもん)とよばれる規格性の強い文様で飾られる。長野盆地でこの工字文の流れをくむ最後の縄文土器が氷(こおり)式土器で、同じころ東海地方西部に分布の中心がある、貝殻でつけた条痕文(じょうこんもん)をもつ樫王(かしおう)式土器がこの地に入りこんでくる。
こうした両者の土器を出土する陣場平(じんばたいら)山麓の知足院(ちそくいん)遺跡(七二会)は例外的な存在で、多くは塩崎の鶴前(つるまえ)遺跡のように平地に接する山麓や、篠ノ井遺跡群聖(ひじり)川堤防地点のような自然堤防上に進出してくる。この縄文時代最後の遺跡の立地は後背湿地を水田域として、自然堤防上を集落域とする弥生時代の遺跡立地そのものなのである。