扇状地上のムラと古墳

118 ~ 119

浅川扇状地では、長野高校敷地の本村東沖(ほんむらひがしおき)遺跡からは古墳中期の住居跡が五六軒発掘され、五世紀前半、五世紀後半、五世紀末、六世紀前半の四段階の変遷が確認されている。五世紀前半には一辺八~一〇メートルの大型住居が四棟あったが、カマドはなく地床炉(じしょうろ)で、五世紀後半になると須恵器とカマドが出現する。いずれも出土遺物からは住居跡間に階層差や貧富差は認められない。

 この遺跡の古墳は、地附山(じづきやま)の山頂にある全長三九メートルの前方後円墳の地附山古墳で、五世紀前半と考えられている。この古墳の東がわ下方の緩斜面には六基の円墳からなる上池ノ平(かみいけのたいら)古墳群があった。一号古墳は直径一八メートルで、主体部は三基並列した組み合わせ式箱形石棺で、中央は合掌形(がっしょうがた)石室であった。直径一四メートルの二号古墳からは土師器(はじき)・須恵器(すえき)を埋納した穴があり、三号古墳からは二号より古い須恵器が出土した。五号古墳も合掌形石室で、鉄剣・鉄鏃(てつぞく)・刀子(とうす)・轡(くつわ)が副葬されており、轡は鉄の棒をねじったひょう轡で、朝鮮半島からの渡来品である。

 同じ扇状地上にある浅川端遺跡からは平成十三年(二〇〇一)、馬形帯鉤(うまがたたいこう)(写真41)とよばれる青銅製の帯留(おびどめ)金具が出土している。これは前方に突きだした前足の先端が鉤(かぎ)になっており、帯の一端をここに掛けて帯を留めたものである。国内で類例は知られていたが、発掘調査でははじめての出土例である。これは朝鮮半島で流行したもので、本品もかの地から将来されたものである。


写真41 馬形帯鉤(浅川端遺跡出土)
(長野市埋蔵文化財センター蔵)