昭和五十六年(一九八一)四月十一日に国史跡に指定された松代城跡では、平成七年(一九九五)から太鼓門や北不明門(きたあかずもん)の復元をはじめ、石垣や土塁(どるい)などの整備がおこなわれてきた。ここでは城郭景観を取り戻した松代城が、どのような調査成果をもとに整備されてきたのかを復元建造物を中心に紹介する。
整備工事がはじまる前の松代城は、城としての景観に乏しく、地上に見えるものは、本丸の石垣とわずかに残る堀や土塁(どるい)の痕跡(こんせき)のみであった。長野市では、城跡を文化財として保護をはかりながら修復し、ほんらいの姿を再現することにより保存活用することを目的として環境整備工事を実施した。この整備により松代城は、これまでの公園としての利用に加え、歴史を体感できる生涯学習の場として、また城下町松代における観光やイベントの拠点としての活用ができるようになった。
史跡の復元にあたっては、絵図・文献史料の収集・解読や埋蔵遺構の発掘などの調査をおこない、史跡内の建造物や石垣、土塁、堀などの形状、寸法、構造を調査することが必要である。その調査結果は、建築史や考古学、石垣などのさまざまな専門家によって構成された委員会において慎重に検討を重ねられた。松代城の整備においては、整備基本計画策定から工事開始までに一一年もの歳月を費やしている。
松代城は、築城から廃城までの三〇〇年余りのあいだに何度も地震・火災・水害などの災害に遭遇している。なかでも、享保(きょうほう)二年(一七一七)の湯本火事では、城内の建物がことごとく焼きつくされ、松代城に関する享保の火災以前の文献・絵図史料はわずかしか確認できなかった。しかし、発掘調査においては、近世後半期の遺構が比較的良好に確認できた。これらの状況を踏まえ、松代城跡の整備工事では、享保の火災以降の再建から明治の廃城までの近世後半期の城の姿を再現している。