太鼓門の復元

236 ~ 237

本丸大手出入り口(虎口(こぐち))には、櫓門(やぐらもん)の太鼓門と内堀ぎわに建てられた橋詰門による桝形(ますがた)が形成されており、太鼓門は本丸内にある三ヵ所の櫓門のなかで最大の門であった。

 発掘調査では、太鼓門の礎石と桝形石垣基部を確認し、復元にあたっては、礎石の焼損・移動がないこと、享保の火災後の再建以来普請の記録がないこと、建物の姿・寸法などが詳細に記された絵図史料と礎石の柱間寸法とが一致したことにより、遺構および絵図面は享保の火災直後の再建の姿を示すものと判断し、この時期を再建期に設定した。発掘調査や絵図史料調査から得ることのできない詳細部分については、日本全国に現存する同時期につくられた他の城門の類例を参考としている。工事のさい、焼失した礎石については補填(ほてん)をしているものの、調査で確認した当時の礎石はそのまま使用している。

 松代城の太鼓門の屋根は、遺構と一致した絵図より、切妻造(きりづまづく)りで厚さ四分(一二ミリメートル)の割板(サワラ材)を重ねた栩葺(とちぶ)きで復元している。


写真94 松代城太鼓門の屋根工事